大正時代から昭和の前半ぐらいまでは、上はシャツ、下はパンツやサルマタ、腰巻きなどを身につけて寝ることが多かったそうであるが、古川町の松田トシの曾祖母(嘉永元(一八四八)年生まれ、八十八才で死亡)は、夏でも冬でも身に何もまとわず、着ていた腰巻きを下に敷き裸で寝たという。また、祖母は肌着を脱ぎ腰巻きだけを身につけ、脱いだ肌着を肩に掛け、丹前で寝たそうである。
一般的にはガーゼやタオル地の和服形式の寝間着などは昭和三十年前後に出回ったが、病気をした時ぐらいしか着なかった。ごく最近は年齢を問わずパジャマなどを着るようになっている。掛け布団は、たいてい額縁仕立てで、裏地に新コモスやメリンスを用いた。冬は、掛け布団の下に丹前下を入れた丹前を掛け、夏は丹前だけを掛けた。丹前の衿には黒地の木綿地を掛けたが、良いものは柄物や黒のビロードの衿を掛けた。夏は麻の蚊帳を吊って寝た。
戦後の物資不足の時には、敷き布団の綿に古セーターなどを綿に打ち直した毛糸綿という黒い綿を用いた。これは綿より価格が安く、古い毛糸を持って行くと綿に打ち直してくれた。また、毛糸綿としても売っていた。布団地や丹前地は呉服屋で買って自分で作ったが、布団綿の打ち直しは古川町の場合、昭和三十五年頃から綿の打ち直し工場を持った店が出来た。それ以前は古着屋の〓木村が綿打ち直しの仲介をしていたが、古川町には工場がなかったので多分函館の打ち直し業者に依頼して取り次いでいたものと思われる。布団は古くなると綿の打ち直しをし、布団地の洗い張りをして作り直した。丹前や丹前下は現在でも多くの家で寝具として使われている。