昭和四十年頃まで、正月には親子ともども正月用の着物として新しい物を着た。衣類事情が良くなかった頃は、普段は継ぎはぎした物を着ていたので、正月には家族全員が真新しいものやきれいなものを身につけた。家族の正月用の衣類は鰯漁の始まる前には作り始めた。
昭和三十年頃まで大人はよそいきの着物を着た。男性は襲や長着に羽織を着て黒繻子の足袋を履いた。女性は銘仙やメリンスの袷の長着を着、別珍の足袋を履いたりした。
昭和十年代頃の子どもは、絣の元禄袖やメリンスの袂袖の新しい着物を着てさんじゃくを締めた。さんじゃくの所にマッコ(お年玉)を入れるコンブクロ(小袋)を下げて付けた。また、ニコニコ(捺染の技法で作られた木綿の染め絣で色柄が豊富)で作った元禄袖の着物、綿入れや袖なし、着物と羽織が対の銘仙などを着た。女の子は髪を結って幅広のリボンや新しい髪飾りを付けた。男の子は黒、女の子は赤のキヌテンや色物の別珍の足袋を履いた。外出にはつま皮の下駄や雪下駄を履き、毛糸の帽子に首巻きをしたり被布を着ることもあった。晴れ着を汚さないように白ネルのベコ前掛けをすることもあった。子ども用の着物類は二、三年着られるように大きめに作り、肩揚げと腰揚げをした。高学年の子や男の子には洋服を新調して着せることもあった。