衣類の製作は女性の仕事であり、漁のない日や夜なべをして、家族の衣類や寝具を整えた。特に漁のない冬期間は囲炉裏やストーブを囲み、足袋の下刺しや衣類の製作にあたった。冬になる前に洗い張りをしたり、テッケシを何足も作っておくのが主婦の仕事でもあった。女性たちはこのような裁縫技術を一七、八歳から裁縫の先生のもとに通い、手縫いの基礎を習得した。また、函館の技芸学校や女子職業学校に通ったり、札幌のミシン学校に通い、専門的な技術を身に付ける人もいた。
製作に必要な用具としてはバンイタ(裁ち板)やヘラ台、鏝(こて)や炭アイロン(アイロンの中に細い炭を五本くらい入れ、炭火を起こして使う)などを使った。また、戦前からミシンを使っていた人もいたが、戦時中、軍服を縫うということで軍に徴用されてしまったそうである。戦後、昭和二十二、三年頃から再び出回り始めたミシンを使い衣類の仕立てを請け負ったという人もいる。
これら各家庭での衣類の製作も、既製品が豊富に出回るようになった昭和四十年代くらいまでであり、現在は既製品に頼ることが多くなっている。製作用具のバンイタやヘラ台は和裁をする年配者の一部に現在も使われているが、炭アイロンは昭和二十年代の電気アイロンの普及と共に使われなくなった。