洗濯には、木製の盥(たらい)と洗濯板で固形石鹸や粉石鹸を使っていたが、物資のない戦時中は、油汚れ物の洗濯には石鹸の代わりにアク水(薪ストーブの灰を樽に入れ水を張った上澄み液)を使った。盥は金属製のも出回ったが、昭和三十年代には合成樹脂製の盥になった。昭和三十八年頃普及し始めた電気洗濯機購入後も「ポリ盥」は一部使われていた。洗濯は暖かい時は外の流し場で、冬は家の中庭でおこなった。外の流し場は共同のもあったが、たいていの家にあった。また、井戸を掘っていた家もあったが、古川町の場合共同の貯水タンクが四つくらいあり、共同で水汲みに使った。水汲みは天秤の左右に一個ずつ木桶を掛けて家まで運んだ。物干しには、竹や木の竿、縄やロープなどを使った。おしめなどは、縄の縒りを解くように弛めた間に布端をはさんで干した。