十、十一月にかけてイワシ漁がおこなわれた。漁に出る前に顔合わせのため人が納屋に集まり一杯飲みをする。魚の煮付け、酢の物などを食べた。約二か月後の漁の終りにまた納屋に集まり「アゴワカレ」をした。「アゴ」とは同じ釜の飯を食べた人のことをいう。「アゴワカレ」の時には、魚を焼いたり、「イワシのおつゆ」、酢の物(酢味噌)や汁粉などを食べた。イワシ漁は夜おこなうので、日が暮れてから船がでた。前浜でとるので弁当は持たず、夜食はご飯、汁物、漬物であった。汁物は大根、キャベツ、菜っ葉で、またとったイワシに大根おろしを入れた味噌汁も食べた。女の人は、夜中にモッコ背負いでイワシを運んだ。番屋の大きな釜には黒砂糖を溶かした黒砂糖湯が作ってあり、船が出たら番屋に入って休み、黒砂糖湯をお茶代わりに飲んだ。男の人は五、六杯、女の人でも二、三杯は飲んだ。寒くなった時に、体を温めるためにも飲んだ。
子どもたちは朝、学校にいく前にナツボ(イワシの山)に寄って、イワシの中からサバを探し、何匹見つけたのかお互いに競争して遊んだ。そのイワシの匂いが、着ているチャンチャンコにしみつき、教室のストーブで暖められてさらに強まり、教室内に充満した。あとで教室に入ってきた教師が、臭い臭いといって窓を開けさせたが、そのことで子どもたちの心は傷ついたものだという。「浜の学校の教師をしていてイワシの匂いが臭いというものがあるか」と文句をつけた親もいたという。
浜の所々には暖をとるため火をおこして火鉢代わりにする穴の開いたガンガン(灯油缶)がころがっていた。子どもたちは、浜に落ちている雑木を焚いて、その上にガンガンを横にして海水で洗ったイワシをのせて焼いた。子どもたちは輪になってそのガンガンを囲み、自分のイワシが焼けるのを待った。それはチュンチュン焼き(チャンチャン焼き)と称し、子どもたちのおやつだった。とてもおいしかったという。