正月飾り

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 飾りつけは、十二月二十八日頃から飾り始め、三十一日までに飾りつける。神棚の飾りつけは「一夜飾り」といって、大晦日に飾るのを避け、遅くとも三十日までにしている。飾りつけの仕事は主人(男性)がする。
 昭和三十年頃までは、二十六日か二十七日に近くの山へいって黒松や椴松の小枝をとってきて、「門松」として玄関の両側に一本ずつ飾った。松と松の間に注連縄(しめなわ)を張り、それに御幣(ごへい)やコンブ・スルメを下げた。そのころはすべて自作で注連縄は男の人が綯(な)った。
 現在はサッシ・モルタル建築の家が多く、門松を飾る家はあまりみられない。最近は簡略化されて、市販の玄関用の注連飾りを玄関に飾る家が多い。
 長く綯った注連縄にコンブ・スルメ・松・ゆずり葉・御幣をはさみ、神棚・床の間・船・倉庫・納屋などに飾る。輪状に丸めたのは「輪としな」で台所・風呂場・便所などに飾る。浜にも松を立て、持ち船に松やお供え餅を供える。
 その年に不幸があった家の人は、注連縄をくぐってはいけないといわれていて、その家では年末になっても正月飾りは飾らないし、新年になっても神社にはお参りをしない。
 まゆ玉は水木(め玉木(だまき)ともいう)や柳の枝を二十六日頃に山からとってきて、その小枝に小さくちぎった餅や、米団子に色づけしたものをつけて飾った。それが繭(まゆ)のようなので「まゆ玉」といい、また「まい玉」ともいった。大正末期から昭和初期はアワビ・スルメ・ミカンも下げた。
 現在は紙の太鼓・大判・小判・七福神・蕪・鯛・達磨・千両箱・宝船などの縁起物を下げる。餅の代わりに最近は、赤・青・黄などに色づけした模型が市販されている。
 昭和三十年代までは、どこの家でも神棚のそばや家の大黒柱に飾ってあるのがよく見られたが、今はあまり飾る家がない。
 お供え餅は、円形で大小二段重ねで、上にミカンをのせ、上と下の餅の間にゆずり葉や松をはさむ。神棚・仏壇・床の間・台所・持ち船・漁具・納屋・農機具などに供える。
 赤川町は古くから注連飾り、まゆ玉など、正月飾りの生産が盛んで、ほとんどの家で副業として作っている。

銭亀町の正月飾り・昭和42年(俵谷次男提供)