三月三日は戦前までは「三月の節供」とよんでいたが、戦後は「おひなさん」また「女の節供」といっている。大正年代までは「ふろしき餅」を作った。ふろしき餅は、ひし形の餅の中にあんを入れ、餅の対角線上の一辺の端をつまんで作る。ふろしきを結んだように見えるので、その名がつけられたという。今でもふろしき餅を作る家がある。
ひな人形のない家でも、女の子のいる家では、赤飯やちらしずしなど、子供の喜ぶご馳走を作り、無病息災を願って祝う。
ほとんどの家では、ひな段・ひな人形などなかったが、昭和四十年代後半になって、ひな人形を飾る家がでてきた。