五月五日は「五月の節供」また「男の節供」といっている。男の子のいる家では、鯉幟(こいのぼり)を揚げ「べこ餅」を作る。べこ餅はうるち米ともち米の粉をまぜて、白砂糖・黒砂糖の湯で浸しねり合わせ、木の葉模様の型で抜いた団子で、笹の葉に包み、蒸して作る。神棚・仏壇に供える。
鯉幟は、戦前は経済的に余裕がある家で揚げたが、一般の家では揚げなかった。布製ではなく、紙製が多かった。親方の家で子どもが成長し、必要でなくなったり、本家で不要になった鯉幟を子どものいる家や分家へ譲ってやった。昭和三十年代後半から一般の家でも揚げる家が多くなった。
またその頃までは「しょうぶ」や「よもぎ」を家の出入口や軒下、窓にも下げたりした。これは魔よけの意味があって、昭和四十年代までおこなわれていた。今でも下げている家がみられる。しょうぶやよもぎは、香りがよく体が暖まり、痛いところがよくなるなどの薬効があるといわれた。それでしょうぶ湯がよくたてられ入浴した。現在も継続し、しょうぶ湯をたてる家がある。
根崎町では昔、しょうぶ湯を浜でやったことがあったという。砂の上にむしろを敷き、その上に板をのせて「すのこ」の代わりにし、回りをむしろで囲った。大きなにしん釜をきれいに洗って、水を入れ、お湯を沸かして入浴した。人々は「釜湯っこ」といって喜んで入ったという。