網子(あご)別れ

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 鰯漁が盛んであった昭和三十年頃までおこなっていた。新湊町では十二月二十日すぎに実施していた。当日は番屋に吹流しに大漁旗をつけ、目印として揚げた。親方はその日は餅をつき、くじら汁などのご馳走を用意して雇い人を慰労する宴を設けた。
 その日には親方は、雇い人に給料を支払い、その日で大部分の雇い人は家に帰った。一部残った者はその後、網を乾燥し倉庫にしまい、船も格納する。それらのいっさいの仕事が終わってから親方の家で「きりあげ」または「戸締まり」ともいって宴が催された。