[年中行事のまとめ]

412 ~ 412 / 521ページ
 昭和三十年代から、生業の変化(漁業‐鰯漁の不振。農業‐農機具の機械化)、特に昭和四十年代にはいって、高度経済成長期以降の、社会ならびに産業構造の進展は、年中行事の面にもいろいろな影響を及ぼした。
 玄関などに門松を飾る家も少なくなり、正月飾りも簡素化が進み、各家に上水道がひかれて、蛇口から水が出るようになって、若水汲みも一部を除いておこなわれなくなった。核家族化が進み、家族でテレビを視聴して正月を過ごすようになり、特に昭和三十年代半ばころから、年賀状の交換が一般化されるにつれて、年始まわりも希薄になった。また、子どもたちがグループを作りおこなっていた七夕も、少子化現象のためか、以前と比べて回る数も少なくなり、現在は昼間に、保育園や小学校で、七夕行事としてとり入れられるようになった。船にお供え餅を供え、漁の始期・終期の大漁祈願、安全操業の祈願行事は、かつて網元の家でおこなわれたが、現在は漁業協同組合などの主催で会場を別にとり慰労の意味あいに変化している。
 これらは、世代交代が進み、合理的な意識・生活が広まった(家庭電化製品の普及)、地域の過疎化、核家族化による家族数の減少、住居構造(建築様式)が変わってきたことなどによるのではないかと推察される。

表4・4・5 銭亀沢地区における年中行事事例


表4・4・5 銭亀沢地区における年中行事事例