妊婦のお腹が大きく目立つようになった五か月目の戌の日に腹帯(ハラオビ)をまく出産の習俗は今もおこなわれている。戌の日に腹帯を巻くのは、お産の軽い犬にあやかってのことといわれている。しかし戦前は家事や仕事の忙しさに紛れて必ずしも戌の日とはいかなかったようだ。腹帯は自分で晒(さらし)を買ってきて締めた例もあるが、姑や実家の母が用意することが多かった。腹帯は晒木綿を用い、「一反から腹帯二本と臍帯(さいたい)をとり、腹帯は交互に使用させた」。腹帯をするのは、「腹を冷やさないため、腹の子が大きくなりすぎないようにするため」といわれ、「子どもが大きくなりすぎると出産の時に難儀するから」と、腹帯を三尺帯のように丸めてきつく巻いたり、また出産後も「腹帯を外すと乳が上がる」といって、紐様にして皮膚がむけるほどぎっしりと巻いていた産婦もいた。
当時は母子ともに生命の危険にさらされることが多く、それだけに安産を願う気持ちが腹帯に強く込められていた。腹帯の端を紅で赤く染めて紅白にしたり、「寿」と朱書したり、安産のお守りを帯に挟んだりしていた。なかには建前の時の柱や、村相撲の四本柱に巻いてあった紅白の布切れを譲り受け腹巻に縫い付けたりしていた。また明神さんはお産の神様といわれ、古川では川濯神社の隣に明神講の小屋があり、祭りの時に取り替えた飾り幕を切って分け腹帯に巻いたり挟んだりした。なお帯祝いといった親戚や実家の親を呼んでの祝い事はほとんどおこなわれていなかった。