ヨウカ(若者宿)

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 村内には公の組織である青年団とは別に、一六、七歳から徴兵検査までの若者が五、六人、仲の良い者同志が集まって雑倉の一部をムシロなどで仕切って(四畳半から六畳ほど)ヨウカと呼ばれる若衆宿をつくった。若者たちはここを集会所にして互いに漁業や実生活に必要な知識や技能を磨いた。このヨウカを通じて、仲間・友達としてのジナコマ(ズナコマ)や義兄弟として強い絆をもつケヤグが育っていった。一方ヨウカでは飲酒、喫煙から花札にいたるまで、先輩連中からいろいろと手ほどきを受けたという。
 大正七年「函館支庁管内町村誌」の文中で、青年の風俗習慣について「青年男子(俗にワカゼと云う)が閑散に乗じ、薄暮相携へて白手拭を頬冠り小唄交じりに散歩する風今尚多少存す」とあるが、これは銭亀沢特有というよりは当時の漁村青年に共通する風俗であったようだ。
 昭和初期には「漁師の若者たちは出稼ぎなどで得た収入は全額親に渡し、お盆と正月に小遣い銭をもらうのが通例で、兄弟が多く親の生活を少しでもたすけようとする風習があった」(吉田正明談)。