湯灌

424 ~ 425 / 521ページ
 通夜に先立って湯灌・納棺がおこなわれた。湯灌には家族や親戚が集まって死者を洗い清めたが、地域の手慣れた年寄が主になって取り扱った。昭和のはじめ頃まではドンジャ(サシコ)に荒縄を締めて湯灌をやったという。
 湯灌はまず幅三尺程の大きなたらいに、「逆さ水」といって、始めに水を入れておいたところに湯を注ぎ、「逆さ柄杓(ひしゃく)」または「左柄杓」といって、左手で裏返すようにして湯を掛けた。たらいや桶、柄杓は寺から借用した。今では湯灌から納棺までを扱う専門家がいて、短時間に死者の体をアルコールで拭き、髭を剃り薄化粧をして遺体を整えてくれる。遺族が手を掛けることはなくなった。葬儀には「逆さ水」「逆さ柄杓」「逆さ屏風」などのように日常の方法や順序とは反対のやり方をすることが多い。だから日常このようなサカサゴト(逆さ事)をしてはいけないとされていた。
 湯灌をすませた死者は死装束に着替えさせる。晒で作った褌やお腰をつけ、襦袢、着物を着せ、手甲、脚絆(きゃはん)を付け足には紐のついた足袋を履かせた。頭には三角の布を付けたり、お高祖頭巾(こそずきん)をかぶせたりした。また首には頭陀袋(ずだぶくろ)を掛け、中に三途の川の渡り銭として一銭硬貨を六枚と米を入れた。死装束はあの世への旅立ちの姿であった。宗派によっては経文が書かれた経帷子(きょうかたびら)を着せた。
 現在ではこれらの装束は葬儀社が一式用意してくれるが、かつては親戚や近所の女たちが集まって大急ぎで仕立てた。晒は物差しや鋏を使わず、目見当で手で裂いて裁った。縫う時にへらは付けず、糸尻は結ばず、返し針はせず縫い放しにした。女性の遺族には供養のため一針ずつ縫ってもらったという。