言語では、海岸方言(浜ことば)のもっとも強い所であるといわれている。津軽や下北地方の方言の色彩が濃厚である。一例をあげると、銭亀沢地区では、赤ん坊のことを、アカ、アカチャン、ウマレビッキという。五つ六つの子どもは、ワラシ、ワラハンドと呼び、「なんぼこのワラシ、なにほどジョッパリだば(強情なこと)」と怒る。自分の娘が成長して嫁に行っても、「やあや、あのワラハンド、函館からまだ来ね、一年も来ね」という。子ども同士が女の子を蔑称するとき、メッケとかオドコメッケ(男みたいな女の子だ)という。
津軽では、子どもの性別による呼称の違いはないが、女のことをメンタ、いやしめていうときはメンタクサレ(女の腐ったの)という。
年代別では、アカ、アカンボウ、マイコ、ガニ、ビッキ(「アッパ、ビッキもって巣さ入った」などという)などは乳児の意、メンコは一歳から就学前まで、ワラシ、ワラハンドは乳児から小学生くらいまで使うがはっきりした区別はないという。下北地方においては、赤ん坊の頃名前を呼び、小学校に入る頃まで、ワラシ、ワラサンドというが、とくにオドコワラシ、オナゴワラシと使って男女を区別することもある。
他の親族名称も共通し、祖父母のことをジッチャにバッチャ、父母をオド、オドッチャにカッチャ、アッパ、アッチャ、長男をアニ、アンチャ、次・三男をオンジ、オンチャ、長女をアネ、アネッチャ、末っ子をバッチ、ヨデッコなどと呼ぶ(久保孝夫「津軽海峡圏の昔話と笑い話」『日本民俗学』189 平成四年)。
古川の松田トシは、方言がだんだん薄れていくひとつの事例として学校教育による言葉の標準化の例をあげ、次のように語った。
家のバッチが小学校さ上がった時、わしば「アッチャ、アッチャ」と呼んでいたの。先生が「今日はお母さんを描きましょう」といったら、バッチは「オラ家にお母さんいないから先生ば描く」といっていたと、先生が教えてくれた。わし「アッチャでね、お母さんて呼ばねば駄目だ」ってバッチにいった。次の日、バーゲンの売り場で品物あさっていたら、バッチが見えなくなった。でもバッチは、ちゃんと「お母さん」って搜していたのさ。わし、普段はアッチャだから「お母さん」と呼ばれても自分のことでないと思って、安物あさっていたさ。昭和十三年頃から、言葉を厳しく学校で直すようになった。オドもガガもなくなった。「今日、ガガっていった者、手をあげろ」といって、立たされたり残されたりした。
言葉遣いについて、一概にいえないが「新湊は漁師町で口わるく、乱暴である。銭亀、古川町は丁寧であり、笑いと意気がある。根崎町は乱暴、志海苔町はおだやかである」という。