弟の福年というのはね、小さい頃、耳遠かったんだね。沖に出さずに一人だけ陸さあげて一五歳のときから陸の仕事させたの。耳聞こえないから、みんなホンズねえ(うすのろ)と思ったんだね。「福年、イカ掛かっていたか」「うん、掛かってた」「なんぼぐらいあったば」「いっぱい掛かってた」「いっぱいってどのぐらいだ」「のれんさ一つ掛かってた」って。繁次郎のとんち話みたいなもんだ(杉尾キヨ談)。(『通観』№269)
一番多いのは、繁次郎が船頭の経験があると偽って雇われたが網を掛ける術を知らないので困って、わざと海に落ち「オレにかまわないで、枠廻せ」と命じるもの「枠廻せ」や、網を逆さにかけてかえって漁があったという話「アッペ(逆さ)網」、身欠きニシンを作るとき、薪で叩いて歩き、親方を困らした話「ニシン潰し」、みんなが出稼ぎ帰り、身欠きニシンをタデで一本もらってくるのに繁次郎はもらってこないで懷からニシンを立てて一本出した話「タデ一本」などがある。
また海の話とは別に、山・里の話もある。脇道にそれて用を足し、シャッポの中に黄色い鳥こ入っているとごまかす「黄色い鳥こ」。婆、死んだといって騒いで、みんなから香典もらって暮らした「婆の弔い」などがある。