昔話が「むかし、あったどせ」という言葉ではじまるように、なぞなぞにもなぞかけの言葉がある。「なんぞなんぞ」と言えば、「解いた」という。
下からおがねで、上からおがるもの→スガマ(つらら)(村田アキ談)。
上が冷たくて、下が火事→風呂(名和孝子談)。
大きだ味噌頭に穴七つ→顔。口一つ、鼻穴二つ、まなこ二つ、耳穴二つ(蛯子ミツエ談)。
大口小口、腹でっぽ、焼き餅一枚に弓一張、そのこころは何と解く→釜(蛯子ミツエ談)。
ゴリゴリゴリと三口で食った、そのこころは何と解く→一五里の大きな大根(蛯子ミツエ談)。
豆腐の看板四八、なんだ→障子(蛯子ミツエ談)。
晩げなれば仲良くなるもの→まぶた。上まぶたと下まぶたが仲良くなる。(山鼻米子談)。
ことわざ・俗信が比較的多く伝承されているのに比べてわらべ唄、なぞなぞの伝承が少ないのはなぜか。ここでも生活環境の変化と、お年寄りと孫・ひ孫のふれ合いの場がまばらになったこと。ことわざ・俗信は日常生活のなにげない語らいの中で、ふともらされるからだと考える。