卜占とはうらないのことで、予兆にくらべ、目的意識がはっきりしている。身近にある材料を使って、その年の天候や豊漁不漁、作柄の出来不出来を判断する。
節分の豆について、銭亀町では「孫婆は節分の豆を一二粒、囲炉裏に一二粒を置いて、焼け具合で畑の出来を豊作だとか、不作だとかを判断した。天気具合も見た。出稼ぎ行ってるときは漁を見た」という。新湊では、「節分の豆煎るときものしゃべるな」といって、「オヤカタが節分の豆煎る時、家内中みんな座っていてものをしゃべらなかった」という。また、「おしらせある」と称して、イワシの地曳網のとき、信心ある者を送り込んで、お稲荷さんに小豆ご飯と油揚げを上げ、「漁しかせてくれ」とお願いする。「なんにもおしらせなくて、オラ食って親方に見せたところ、わあいいとこだ、といって漁に繋がった」ことがあった。春の大祭は旧四月十日、行者が集まってくるし、毎月十日に七、八人集まる、という。