[あとがき]

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 平成四年度からスタートした銭亀沢編は、山鼻節郎銭亀沢連合会会長はじめ地域の皆様のご協力によって刊行することができました。
 また、編集会議では松崎憲三、神野善治、木村礎各先生方にご教示をいただきました。改めてお礼を申しあげます。
 銭亀沢編を編集するにあたって意識したことは、地域史研究が地域課題とどのような関連性をもちえるのかという点でした。地域史研究は、増田洋(元編集員)の、「これらは過去の既に終わったことであり、今後にどのような意昧があるのか、という意見もある。しかし、二〇〇海里体制の下で漁業の新たな展開が模索され、また、日本経済もこれまでの高度成長を期待できない事態を考えた場合、将来を展望する確実な道は過去の経験を正確に整理し、その担い手の性格と役割を明確にするしかないのである。」(『地域史研究 はこだて』19)という指摘から、私たちは対象とする地域空間の事実の蓄積とともに、主体者としての住民の意識を重視しなければならないと考えたのです。
 またもうひとつは、「商品化という形で私的所有や私的管理に分割されない、また同時に、国や都道府県といった広域行政の公的管理に包括されない、地域住民の「共」的管理(自治)による地域空間とその利用関係(社会関係)をコモンズとよぶことにしたい。」(多辺田政弘『コモンズの経済学』一九九〇)という視点が高度成長期による地域社会の変化を客観的にみるのに有効ではないかと考えました。高度成長期がもたらした「豊かさ」とは、なんだったのかを検証することも大切なことではないかと思います。
 この問題意識を踏まえて、歴史だけではなく、いろいろな分野からアプローチすることによって銭亀沢のイメージが構築されないかという期待がありました。しかし、各分野ごとの連携がそれぞれに十分でなかったこともあって、住民主体の地域史がどれだけ描けたか、必ずしも充分に描けなかったかもしれません。
 しかし、津軽海峡圏は地元の地域社会とともに共存した広域圏として重要なキーワードであることを再発見できたことは大きな収穫です。これに関連して出稼ぎの意味も、負のイメージとは違った視点でのアプローチが見いだせるのかもしれません。また、巻末の写真からもイメージできますが、多くの生活の知恵や相互扶助の地域システムなどに、住民の力強さを感じました。
 高度成長期の大衆消費社会は、住民の生活観を規定し、「貧困」からの脱出を命題化したのです。しかし、何が「貧困」なのか、その意識の主体者である住民がその地域社会を形成していることだけは、実感できたような気がします。地域の皆様の情報が記録として残り、ひとつの資料になればと思います。
 最後に、お世話になった方々に対し改めてお礼を申しあげます。本当にありがとうございました。          (根本記)
 
函館市史 銭亀沢編
   平成十年二月二十日発行
編集 函館市史編さん室
発行 函館市
   函館市東雲町四番一三号
   TEL 〇一三八-二一-三八一三
印刷 (有)三和印刷
   函館市海岸町八番一一号
   TEL 〇一三八-四五-〇八四五