約5,500年前に発生した駒ヶ岳のKo-f噴火は、恵山にも白色軽石を降下させた(図1.14、図1.20)。この後、土壌が発達する程度の時間をおいて、恵山において爆発的な噴火が発生したことが地質から判る。すなわち、Ko-fの上位に数センチメートルのクロボクを挟んで、やや発泡した白色軽石のほか細粒物からなるテフラが火口原内に厚く堆積している(図1.16)。軽石は新鮮で鏡下でも新鮮な火山ガラスが含まれていることが判り、少量ながら元村噴火の後、再び新しいマグマが噴出したと考えられる。火口原東部では小規模な火砕流堆積物として確認でき、この構成物はMd=1ミリメートル前後のやや発泡した軽石が大半である。火砕流を含め、この噴火堆積物は層厚分布から推定して恵山溶岩ドーム北東側(?)から噴出したものと考えられる。火砕流は、火口原を1メートル近くの厚さで埋めつつ流走を続け、乱塔の沢などの沢伝いに元村地区を襲った。また、外輪山の尾根部などにも火山灰を降らせたことが堆積物から判る(図1.16)。さらに、Es-1の上位には淘汰のよい同質の火砕流からなるラハール堆積物がのっている。火砕流は最低でも2、3キロメートル流走し、H/L値は0.17と見積もられた。レスの厚さを内挿することで推定される噴火年代は3.5〜4.5kaで、噴出堆積は106立方メートルのオーダーである。