(1)磯の食物網

173 ~ 177 / 1483ページ
 あらゆる動物は餌をたべなければ生きてはいけない。したがって生態系のなかで、ある生物の餌のそのまた餌、というふうに餌の起源をたどっていくと、必ず植物にたどりつく。このような生態系での生物間の食う食われる関係をたどったものを食物網という。食物網は、生態系に見られる生き物の組み合わせと、彼等同士の相互関係を理解するうえで便利である。
 磯の食物網は、固着動物、海藻、藻食底生動物、肉食底生動物、最上位捕食者の5つの要素で構成されている。
 磯の食物網のおおもとを支えているのは、海洋で育った植物プランクトンやその分解物である微小な有機物、それに栄養塩(養分)である。これらは動かない固着生物に利用される。植物プランクトンと微小な有機物は岩に付着して生活する固着動物(フジツボや二枚貝)の餌となり、栄養塩は海藻の体の材料となる。
 これら固着動物や海藻は、移動性の底生動物の餌となる。藻食者であるヒザラガイ・カサガイ・タマキビ(巻貝)・ウニなどは海藻を食べ、肉食者であるチヂミボラ(巻貝)やヒトデは固着動物を食べて生きている。
 これら藻食・肉食の底生動物はもっと大型の捕食者であるカモメ類やカラス類に食べられる。かれらは、固着生物をも餌にする。鳥類はいわば岩礁潮間帯の百獣の王で、ここの生態系の頂点にたつ最上位捕食者である。また鳥類は季節によっては、陸上(カラス)やより深い海、また遠い海外の海(カモメ類)で採餌するので、かれらは潮間帯の食物網と陸上や他の海域の生態系を連結する役割を担っているといえる。
 
 ①競争的排除
 岩に付着して生活している海藻やフジツボ、イガイ類などの固着生物は、すみ場所(岩表面の空き地)をめぐってお互いに争っている。この空き地をめぐる競争では種間の強弱関係が固定しており、はじめに多種がみられても、最終的には最も強い種が他の種類を追い出してしまう。このことを「競争的排除」という。この競争的排除が常に自然界で起こっているならば、たくさんの種は共存できないことになるが、実際の磯では競争上の弱者もちゃんと生きている。このことは自然界では、競争的排除がおさえられていることを意味する。どんなしくみで競争的排除がおさえられているのか? 以下にその仕組みを紹介しよう。
 
 ②競争的排除の抑制機構
環境勾配に沿ったすみわけ「住みにくい所に住む」
 磯浜に降りて少し離れた場所(岩から10〜20メートル位の距離)から潮間帯の岩を眺めると、海面近くの岩の表面には水平方向に数本の色の帯があることに気づく。この帯は岩の傾斜が急な場所では幅が狭く明瞭だが、緩斜面でも注意深く観察すれば必ず見つけることができる。そのなかに1〜数種の固着生物(フジツボ、イガイ類または海藻)が密集して分布していることから、この帯は帯状分布と呼ばれる。帯ごとの色の違いは樽成する固着生物の種類が違うことを示している。道南地方では潮間帯の最上部にイワフジツボが、その下にムラサキインコガイが帯状分布を形成しているのが一般的である。
 実はイワフジツボは競争上弱いが、ムラサキインコガイが住めないほど乾燥した場所にも住めることで、競争を回避している。実際、2種の帯状分布の境界でムラサキインコガイを除くと、イワフジツボの帯状分布は下がる。このことは、もともとのイワフジツボの帯状分布の下限はムラサキインコガイとの競争で決定されていたことを意味する。一方、2種の帯状分布の境界でイワフジツボを除いても、ムラサキインコガイの帯状分布は変化しない。このことは、ムラサキインコガイの分布の上限はイワフジツボによってではなく、乾燥によって制限されていることを意味する。
 このように、自然界には穏和な環境と劣悪な環境の場所が存在するので、競争上の弱者は、強者が住めないような厳しい環境に住むことによって多種共存が生じる。このメカニズムは、磯ばかりでなく地球上のさまざまな場所で多種共存を生じさせている。
 
撹乱パッチの形成 「中庸がいちばん」
 磯で帯状分布のはっきりした部分に接近してみると、遠くから観察したときの印象とは異なり、1種類の固着生物がひとつの帯状分布内に均質に分布しているわけではないことに気づく。しばしば、ひとつの帯状分布は複数種の固着生物の分布がモザイク状に組みあわさって形成されていたり、帯状分布の中に斑状に生物の分布しない部分が観察される。
 このような斑状の無生物部分を撹乱パッチといっている。撹乱パッチは固着生物が波の力ではがされることなどによって形成される。できて間もない撹乱パッチに住み着く種は、競争上の弱者である。彼等はそこで素早く成長し子孫を残すが、やがて競争に負けて消えていく。たとえば、道南のある海岸では、ムラサキインコガイ(二枚貝)の帯状分布に撹乱パッチができると、最初に1年生の海藻が侵入し、その1年生海藻はピリヒバという多年生の海藻に取ってかわられ、そのピリヒバもやがてムラサキインコガイに置き換わられることがわかっている。しかし、実際の磯では、次から次へと新たな撹乱パッチが形成されるので、ピリヒバや1年生海藻などの競争的弱者たちは、そこを「渡り歩く」ことで、ムラサキインコガイと共存できるわけである。
 このような撹乱パッチの形成の頻度は、高すぎても低すぎても、そこに住む生物の種数を低下させる。なぜなら撹乱パッチの形成があまりにも頻繁だと、多くの種が子孫を残す前にその場所からはがされてしまうことになり、一方撹乱パッチの形成がまれだと、競争的排除によって絶滅する種が出てくるからである。したがって中程度の撹乱頻度の場所で共存できる種数がいちばん多くなることが予測できる。これを中程度撹乱説といっている。
 このように自然界では常に競争上の強者が除かれるので、競争上の弱者は、できた空き地にすばやく住み着き子孫を残すことができるようになり、その結果多種共存が生じる。このメカニズムは、磯ばかりでなく他の多くの生態系での生物の多様性を維持するのに役立っている。例えば、熱帯降雨林の樹種やサンゴ礁のサンゴの種数が多い理由のひとつが、適度な頻度で起こる撹乱パッチ形成(=中程度の撹乱説)であると考えられている。
 
捕食 「敵の敵は味方」
 肉食・藻食の底生動物や鳥は、しばしば餌とする海藻や固着生物の分布に大きな影響を与える。例えば、海藻は攪乱パッチの中央部では多いのに、周辺部ではほとんど観察されないことがよくある。
これは撹乱パッチの周辺部に多く住んでいるカサガイやヒザラガイが海藻を食べつくしてしまった結果である。この捕食者の摂餌も、固着生物の共存にひと役かっている。捕食者はしばしば、固着生物のなかで競争力のある種を好んで食べる。そのおかげで競争上の弱者が競争的排除から逃れることができる。つまり「敵の敵は味方」である。
 この極端な例は、北米太平洋岸の磯で知られている。ここではヒトデが、固着生物のうち競争上の最強者であるカリフォルニアイガイを食べる。ぺイン博士という研究者が海岸からこのヒトデを取り除いたところ、以前はカリフォルニアイガイとともにさまざまな生物が生息していた岩場が、数年間のうちにカリフォルニアイガイによって覆われてしまい、28種類もの生物がそこから消滅してしまった。
 つまりこの岩場での多種共存は、1種類のヒトデがカリフォルニアイガイによる競争的排除を抑制することで成り立っていた。そこで、ペイン博士はこのヒトデのように生態系全体の種多様性維持を担う1種類の生物を、「キーストン種」と名付けた。「キーストン(keystone)」とは「かなめ」という意味である。
 海外の磯ではヒトデのほか、ラッコやロブスターが「キーストン種」である例が知られている。また陸上ではアフリカゾウが「キーストン種」であると考えられている。これらの多くは、生態系の最上位捕食者である。現在までに日本の磯では「キーストン種」がいるかどうか明らかにされた例は無いが、野田(〈文献1〉)は今日、道南の海でそれを確かめようとしている。
 なお、先に述べたペイン博士のヒトデ除去実験においてヒトデの除去をやめると、その岩場にはすぐヒトデが侵人した。しかし元どおりのたくさんの種の住む岩場には戻らなかった。これはヒトデ除去を行った5年間にカリフォルニアイガイが成長し、ヒトデには大きすぎてもはや食べられなくなったからである。このことは、いったん生態系を破壊すると、容易に元には戻らない可能性があることを示している。
 
 ③正の相互作用
 ここまでは、多種共存のしくみとして競争的排除の抑制機構について焦点をあてて話をしてきた。つまり、「いかに弱いものいじめがふせがれているか?」というストーリーだったわけである。しかし自然界でも「他人からの恩恵(正の相互作用)」が共存に一役かっている可能性もある。以下に北海道南部の磯に住む生き物たちを例にとってみてみよう。
 いわゆる「岩のり」の代表種であるスサビノリは、春から初夏にかけて、生きたムラサキインコガイの殻の上に好んで生える。この時期の磯は海水のなかの栄養塩不足と高温乾燥のため、海藻にとって厳しい環境だと考えられるが、この厳しさはムラサキインコガイの出す尿に含まれる栄養分と、干出時に貝殻のすきまからにじみ出る水分が緩和してくれるのであろう。実際、中味を取り除いたムラサキインコガイの殻の上ではスサビノリは良く育たないという野田たちの実験結果は、これらの考えを支持している。
 また春先、海藻の1種ヒバマタの葉っぱをめくってみると、ヒバマタの根元に白や褐色の粒々の入ったゼリー状の塊が付着していることがよくみられる。これはクロタマキビという巻貝の卵塊である。クロタマキビの住んでいる場所は潮間帯でも特に乾燥が厳しいところなので、むきだしの岩の上に卵塊を産めば乾燥して卵は死んでしまうであろう。このような環境では、いつでも湿っているヒバマタの大きくて分厚い葉っぱの下は、クロタマキビが利用できる少ない安全な産卵場所なのである。
 道南の海岸では、ムラサキインコガイ(二枚貝)の帯状分布に撹乱パッチができると、ピリヒバという海藻が侵入し、そのピリヒバはムラサキインコガイに置き換わられる、ということは前述したが、実は、このムラサキインコガイの侵入には、先住者のピリヒバが一役かっている。ピリヒバがムラサキインコガイの稚貝の定着場所となっているのである。実際ビリヒバが生えているとどんどん侵入してくるムラサキインコガイの子供も、ピリヒバを取り除くとほとんど入ってこなくなることがわかっている。
 ここにあげた正の相互作用は「恩恵」を与える側の生き物が意図して行っているわけではないけれども、ある生物が住むことで環境がかわりそれを他の生物が利用することは、自然界ではごく普通にみられることだと考えられる。