5、昭和18年の地方制度の改革

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 米英蘭に宣戦布告し、第2次世界大戦の戦局がますます急迫しつつあった昭和18年、東条内閣は翼賛体制下の最初の通常議会(第81議会)に「市制」「町村制」「府県制」「北海道会法」の4法の改正法律案を提出し、審議・可決、同年、地方制度全般にわたる改革が行われることになった。
 改正法案提出の趣旨は「時局の急迫に伴い国家の施策はいよいよ広範かつ繁多となり、これが遂行具現については、市町村の活動に負うところが多大であり、とくに防空、生活必需物資の配給確保、貯蓄の増強、食糧増産、労務の供出等に関しては、その機能の十分なる発揮にまたなければならないが、市町村の現状は、この時局の要請に沿い難い点が認められるので、この際、市町村行政について根本的刷新と高度の能率化とをはかり、もって国策の浸透徹底と国民生活の確保安定に万全を期せんとするものである」(内務省史第1巻)という点にあったが「市制中改正・町村制中改正」(昭和18年3月20日・21日法律80・81号)についてあげれば次の諸点について行われた。(町村に関係ある事項のみ抜粋記載する)
 
1、市町村長などの選任についての上級官庁の介入
 ・町村長については、町村会において選挙し、道庁長官が認可することとした。
 ・市町村長による助役の選任についても、道庁長官の認可が必要とされることになった。
2、市町村会の権限の縮小
 ・市町村会は予算の増額と修正をなしえないものとした。
3、市町村長に対する総合的指示権の付与
 ・市町村内の各種施策の総合的運営を図るために必要と認めるときは、市町村内の団体などに対して所要の指示をおこなう権限が市町村長に与えられ、さらに指示を受けた団体がこれに従わないときには、市町村長はその団体の監督官庁の措置をできることになった。
4、町内会部落会の法制化
 ・市町村長は、町内会部落会およびその連合会の長に、その事務の一部を援助させることができる旨が定められた。これによって昭和15年の内務大臣訓令によって整備再編され、戦時行政の補助機関として機能しつつあった町内会部落会は、法制度の中に正式に位置づけられることになった。
 ・市町村長は町内会部落会および、その連合会の財産・経費の管理、区域の変更などに関して必要な措置を講じ得ること、および市町村長の許可がある場合は町内会部落会、またはその連合会が自己の名を持って必要な財産を所有し得ることが定められた。
5、市町村および市町村長に対する国政事務委任手続きの簡素化
 ・これまで国政事務の委任は法律または勅令によることを必要としたが、改正法は、法律または各種の命令をもって委任できることとし、
 ・反面国政事務の委任に際しては、それに必要な費用の財源について所要の措置を講ずべきことを定めた。
 
 以上のように、昭和18年度の改正は、
 ①部落会町内会を法制化して末端の行政機構に編入し、
 ②地方団体内部における市町村長の権限を強化するとともに、
 ③その市町村長を中央官庁の統括の下におくことを主眼とするものであった。
 このような地方行政の官治的な集権化に対しては衆議院においても「この改正案は自治権拡張の趨勢に逆行し、自治権の範囲を縮小せしめるものであり、これは旧来のわが市町村制の沿革上かつてみられない中央集権的官治行政であって、自治制度は重大な危機に遭遇している」という強い反対意見が述べられた。
 これに対して政府は「わが国の自治制度は、本来、大政を翼賛し、国家目的を達成する制度であり、したがって、市町村の自治活動がこの目的に沿うように官の監督を受けるのは当然であるが、官の監督と自治団体の活動とが常に調和を保ち、官民協力の実をあげることがその要諦である」と答弁している。市町村自治の精神に照らし、詭弁と言わざるを得ない答弁であろう。
 ところで、この「町村制中改正」で、町村制第157条第1項の「本法は北海道沖縄県、其の他勅令を以て指定する島嶼(とうしょ)に之を執行せず」の規定から「北海道其の他」が削除され、本道の町村にも府県の町村と同じに「町村制」が適用されることになった。これにともない、自治権等の制約を受けていた北海道1級町村制(昭和2年3月1日・勅令157号)」と「北海道2級町村制(昭和2年8月27日・勅令270号)」は廃止され、本道もようやく府県の町村並に同じ法律が適用されるようになった。しかし、その法律は以上に述べたように『中央集権を基礎とした官僚的拘束の強化と、地方団体のより徹底した自治権剥奪の方向へ変容』していったのである。