『昭和3年から19年まで村会議員当選者』

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 なお、当時の村会議員選挙有権者数は、千200から千300前後を推移している。
 ・昭和8年は1,264、昭和14年は1,333である。
 
『昭和3年から19年まで村会議員当選者』
昭和三年
六月一日施行
(第一二回)選挙
昭和六年
十一月十四日施行の
補欠選挙
昭和七年
六月一日施行
(第一三回)選挙
昭和十年
十月三十一日施行の
補欠選挙
昭和十一年
六月一日施行
(第一四回)選挙
昭和十五年
六月一日施行
(第一五回)選挙
昭和十七年
十一月十三日施行の
補欠選挙
昭和十九年
六月一日施行
(第一六回)選挙
 東 吉蔵
 松本 専太郎
 浜田 伊三郎
 深田 守治
 玉井 長次郎
 柳本 三郎
 白井 藤次郎
 赤井 幸一郎
 出戸 仁太郎
 宮川 米吉
 斉藤 留五郎
 梅川 金五郎
 佐々木 才太郎
 吉岡 袈裟吉
 高松 米吉
 石田 覚蔵
*次点繰上当選
 野呂 斧右エ門
 
 若山 常太郎
 
 
 野呂 弟吉
 
 
 
 
 
 
 福沢 留蔵
 梅津 喜代治
 東 吉蔵
 若山 常太郎
 浜田 伊三郎
 由利 良徳
 野呂 弟吉
 野呂 斧右エ門
 白井 藤次郎
 赤井 幸一郎
 出戸 仁太郎
 宮川 米吉
 中森 伊三郎
 伊勢 勝太郎
 小田 吉三郎
 川畑 与作
 梅津 喜代治
 吉岡 袈裟吉
 湯沢 繁次郎
 石田 覚蔵
*次点繰上当選
 田中 玉吉
 斉藤 留五郎
 
 
 石田 富蔵
 
 
 浜田 正義
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 沢口 貞太郎
 松本 専太郎
 東 政義
 石田 富蔵
 梶原 吉太郎
 浜田 正義
 野呂 斧右エ門
 与門 由太郎
 館山 周吉
 小田 吉三郎
 宮川 米吉
 田中 玉吉
 伊勢 勝太郎
 斉藤 留五郎
 福沢 留蔵
 川畑 与作
 吉岡 袈裟吉
 沢口 貞太郎
 笹川 蔵太郎
*次点繰上当選
 若山 常太郎
 松本 専太郎
 若山 常太郎
 石田 富蔵
 伊藤 東作
 浜田 正義
 野呂 斧右エ門
 与門 由太郎
 館山 周吉
 小田 吉三郎
 出戸 仁太郎
 宮川 米吉
 伊勢 勝太郎
 福沢 留蔵
 中野 由太郎
 笹川 蔵太郎
 吉岡 袈裟吉
 原田 與七
 沢口 貞太郎
 
 
 沢田 綱蔵
 
 
 
 
 
 
 
 川村 留吉
 斉藤 留五郎
 
 吉田 亀蔵
 岩田 末松
 松本 専太郎
 若山 常太郎
 沢田 綱蔵
 伊藤 東作
 浜田 正義
 野呂 斧右エ門
 与門 由太郎
 館山 周吉
 小田 吉三郎
 出戸 仁太郎
 川村 留吉
 斉藤 留五郎
 福沢 留蔵
 伊勢 勝太郎
 吉田 亀蔵
 吉岡 袈裟吉
 原田 與七
 岩田 末松
・昭和四年三月
柳本三郎が辞表提出。
次点の野呂斧右エ門が
繰上げ当選となる。
・昭和四年十月
玉井長次郎
・昭和六年二月
松本専太郎
梅川金五郎
佐々木才太郎の
辞任により
補欠選挙を実施する。
・昭和七年十一月
浜田伊三郎死去のため
次点の田中玉吉が
繰上げ当選となる。
・昭和九年一月
由利良徳死去
白井藤次郎辞任
・昭和十年八月
湯沢繁次郎死去
東吉蔵死去により
補欠選挙を実施する。
・昭和十一年九月
斉藤留五郎失格のため
次点の若山常太郎が
繰上当選となる。
・昭和十五年十一月
笹川蔵太郎死去。
・昭和十六年八月
伊勢勝太郎辞任
中野由太郎辞任
・昭和十七年七月
石田富蔵死去
・昭和十七年九月
宮川米吉辞任
以上四名欠員により
補欠選挙を実施する。
・昭和十九年十一月
原田與七辞任
・昭和二十二年一月
川村留吉辞任