このような逼迫した食糧危機を乗り切るため、当時の村長三瓶万吉は村議会を緊急招集し、議長松本専一郎、副議長吉岡袈裟吉らの協力を得て「食糧対策特別委員会」を設置した。全議員が委員となり村としての食糧対策を協議、三瓶村長以下、役場の食糧係職員・議会関係者(委員)・食糧配給公社支所長らが、道内外の農村地帯に食糧出荷を懇請するための出張をすることになった。この食糧調達旅行は延べ数10日におよんだ。
副議長だった吉岡袈裟吉は後日、次のように語ってくれた。
「その頃、関係官庁に足しげく(食糧配給について)陳情した。また、網走・帯広・名寄・富良野などの米作地帯にまで出向いて、農家一軒一軒回り実情を訴え、緊急供出というよりはヤミでもいいから売ってくれるように懇請した。その条件としては、魚粕や海藻、その他、海産物を見返りとして提供することを約束した。(これらの取引について)私どもは警察に逮捕されるようなことがあるかも知れないと覚悟を決めてかかった。今だからいえるが、これはヤミ取引で違反行為であるから。危惧していた通り、このことが発覚して、食糧調達の担当者は警察当局から取り調べを受けた。担当者は七千余名の村民が餓死線上にある窮状を説明、為政者としてこれを見るに忍びず、やむを得ない行為であることを訴えた。警察当局も実情は理解したものの、法をまげる訳にもいかず、一応説諭ということで、仕末書を書かせられることになった。軽いとはいえ処分を受けたのである。食糧対策には口で言えぬ苦労があった。」