[アメリカによる単独占領]

577 ~ 578 / 1483ページ
 天皇の終戦宣言・日本軍の敗戦の結果、わが国はアメリカを中心とする連合国軍の占領下におかれた。この占領政策の最高決定機関としてワシントンに、米英ソ中など11カ国(いわゆる連合国)からなる極東委員会が設けられたが、実質的な占領政策は、東京の連合国軍最高司令部(GHQ)最高司令官マッカーサー(対日戦争のアメリカ軍最高司令官)主導のもと強力に行われた。すなわち、連合国軍による占領は名目で、実質的にはアメリカによる単独占領であった。このことは戦後の日本の発展に、特に外的条件(国際紛争・東西冷戦、朝鮮戦争などの)にも幸いした。
 アメリカによる事実上の単独占領は、初め軍事力の剥奪については厳しかったが、その他については予想外に寛大であった。寛大であったというだけではなく、民主化の方向と経済の回復に積極的な役割を果たした。占領政策には当然、行き過ぎや逆転があったりはしたが、新日本国憲法の制定にイニシャティブをとったほか、農地を耕作者に解放し、労働者に団結権と公正な労働基準を与え、女性に男性と平等の地位を認め、ことに基本的人権と言論の自由を擁護し、社会保障制度の端緒(たんしょ)をつくりだした。
 また、アメリカは対日賠償を放棄し、民族資本を温存し、軍事費を大部分肩代わりし、財政のバランスをすすめ、インフレを防止し、技術の導入に努力したが朝鮮戦争にともなう域外調達(いわゆる特需)が、異常の好材料を日本に与えた。これらが日本経済繁栄の基礎をすえた。
 もちろんアメリカの日本占領の目的性格は、第一義的には自国の利害関係から割り出された。したがって占領は日本国民にとって辛いものであった。国民は1日も早く占領の終結と、自国の独立を待ち望んだ。しかし、占領下にあった日本国民には、アメリカ政策の批判は原則として禁じられていた。