(3)日米安全保障条約(安保条約)

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 講和条約といえば日本人はすぐ安保条約を想起する。講和条約と安保条約の関係については、講和条約第3章(安全)において、わずか次の2カ条を規定しているにすぎない。第一は、『国連憲章』との関係である。
 第5条(c)に、「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する」
 この規定からすれば、日本の安全保障は国連憲章の枠内において考案されたものと考えられる。事実としても、朝鮮事変(戦争)勃発の翌年の年頭のメッセージにおいて、マッカーサー元帥は「国際的無法状態に対しては、日本国憲法の理想も自己保全の原則に道を譲らねばならない。国連の枠内で力を持つことが義務となる」と声明した。おそらくマ元帥も日本国民も、なお国連による日本の安全保障に希望を繋いでいたのである。しかし、朝鮮戦争によって国連の機能がまひ状態におかされている時、ダレス・吉田会談を通じて「国連依存方針に代わるべきものが考案されねばならない。まして朝鮮戦争の続くかぎり、日本は国連軍の軍事基地として手放せない。したがって対日講和の条件として、安保条約が締結される以外に方途はない」の合意が成立した。
 そのうえ、米国には国連憲章第51条の規定に従って、他国と集団的安全保障条約を締結する場合には、条約の相手国が「経済的かつ効果的な自助及び相互援助」のできる場合に限るとのバンデンバーグ決議(1948年6月11日上院)なるものがある。ところが、日本は憲法によってこうした相互援助のための軍事力を持つことが制限されており、特に占領下の当時においては、全く自衛力をもっていなかった。そうしたときに、日本の防衛と安全のための現実的な方策としては、日本を基地とする米軍の駐屯を認める以外に方法はない。
 そこで、第二に、『講和条約』に、特に次の規定を設けた。
 
 第6条(a)「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、1または2以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される2国間若しくは多数国間の協定に基づく、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とんまたは駐留を妨げるものではない」
 
 この但書きを受けて日米安保条約は講和条約との関係を保っている。
 そして、その理由を、安保条約は次のごとく積極的に述べている。その前文において、「暫定的措置として」と規定され、特に条約の有効期限を明記しておらず、日本は「直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する」とある。
 安保条約の本文そのものは5カ条からなる比較的簡単なものである。以下、その条文。
 
 第1条には、「平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、…中略… 外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」
 と、駐留軍の目的及び性格を明らかにしている。
 
 第2条は、「第1条に掲げる権利が行使される間は、日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは機能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第3国に許与しない」と、駐留軍の権利を明示し、
 
 さらに、第3条において、「アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する……。」
 と、米軍の日本駐留に関しての駐兵数、軍事基地、裁判権の帰属、課税の方法、日本側の財政負担、便益供与その他細目はそれによることとした。
 すなわち、日米安全保障条約は講和条約と不離一体の関係において成立し、国際的には日米関係の枢軸となり、国内的には幾多の対立と紛糾の原因ともなった。