新憲法により、これまでの官吏の性格は大きく変わった。すなわち「天皇の官吏(お上)から国民全体の奉仕者へ(pubic servant)」といわれるようにである。
「官吏服務紀律の一部を改正する勅令」(昭和22年勅令第206号)は、今までの「天皇陛下及ビ天皇陛下ノ政府ニ対シ忠順勤勉ヲ主トシ……」とあったのを「国民全体ノ奉仕者トシテ誠実勤勉ヲ主トシ……」と改めたのである。
時の片山内閣(日本社会党)は組閣直後の閣議で早くもその骨子をまとめ、官界刷新の方策・要綱を決定した。そして、そのねらいを「真に国民の要望する民主的新官吏道(民主的で新しい公務員のありかた)を確立する」とし、具体的には次の諸点をあげている。
①新憲法下における官吏道の確立、②責任感と能率の強化、③行政運営の改善・行政運営の民主化・能率化、④官紀(官吏の服務上守るべき紀律)の粛正、⑤監察の励行、⑥信賞必罰、⑦官界の明朗化。
その後、アメリカのメリットシステムを参考に国家公務員法が制定され、次いで、昭和25年(1950年)12月13日「地方公務員法」(法律第261号)が公布された。
以上の経過をたどり、公務員・地方公務員は「住民全体の奉仕者」であることが明確に規程づけられた。と同時に、公務員の身分を守るために、不当な処分に対して異議申立ができる(救済機関として)「公平委員会」が設けられた。