このことこそ民主政治の根本理念である。そして、これは地方行政についてもそのまま当てはまる言葉であろう。
戦後の混乱・めまぐるしく変化する社会経済と現実生活、それに対応する国の立法措置・地方行政(道)の時々の施策、住民と直接接する自治体(役場)は、常に限られた職員数で効率的に行政事務を執行していかなければならなかった。
①昭和20年4月1日、戦争末期の事務組織
教育係・厚生係・兵事係*・戸籍係・土木係・勤労係・統計係 *兵事係は徴兵令による事務執行等
庶務係・財務係・殖産係・振興係・衛生係・援護係*・物資係 *援護は出征兵士留守宅への援護等
以上、14の係・事務内容に分かれており、当時の役場吏員数では1人の職員が2~3の係を兼務するのが普通であった。例えば教育と厚生、庶務と財務、兵事と戸籍、勤労と統計など関連性の強い事務を兼務して担当していた。
②昭和22年10月1日、戦後の機構改正による事務組織
庶務係・税財係・産業係・商工係・統計係・土木係・教育係・民生係
以上、8係に整理統合され、基本的には1人1係の事務執行体制となった。
③昭和23年8月17日の機構改正による事務組織
総務課(財務係・税務係・庶務係・教育係の4係)
産業課(産業係・統計係・土木係の3係)
民生課(経済係・援護係*・勤労係・戸籍係の4係) *旧植民地等からの引揚者の生活・仕事の援護
以上、3課11係となり、中間管理組織としての課を設置し事務内容の充実を図った。
④昭和28年8月17日の機構改正による事務組織
総務課(庶務係・議会係・選挙係・消防係の4係)
税財課(賦課係・徴集係・財務係の3係)
民生課(労働係・経済係・衛生係・国保係・厚生係・戸籍係・統計係の7係)
産業課(水産係・土木係・建築係・農産係・林産係・畜産係の6係)
以上、4課20係と1課の増、係も9増と国の施策、郷土の発展に即応し事務組織は拡大してきた。国の立法・施策、−例えば、国民健康保険法の事務を担当する国保係−、町の産業の発展−例えば、水産・農産・林産・畜産係など−
⑤昭和36年4月5日の機構改正による事務組織
総務課(庶務係・財務係・観光係・消防係・国保係の5係)
税財課(賦課係・徴集係・保険係・納税貯蓄組合の4係)
民生課(厚生係・職業係・国民年金係・商工係・戸籍係・統計係・衛生係の7係)
産業課(水産係・漁港係・土木係・建築係・農林係・畜産係の6係)
以上、4課22係と2係が増となったが、その1つ観光係は36年6月1日恵山道立自然公園の指定を受け観光行政の充実を図るためであり、もう1つの漁港係は次年度から第3次(43年度まで・以降は4次)漁港整備長期計画促進のための係の設置であろう。
○昭和36年4月1日、4月5日の機構改正の事務組織とは別に、役場の企画調整部門の最高管理機構(トップ・マネージメント)として、助役を長とする「企画部」を設置した。
この組織は町制施行を視野に入れての組織である。
[図]
⑥昭和39年4月15日 2部6課22係の機構大改革を行う。
この大改革は町制施行を想定しての改革である。
昭和42年7月2日現在 三好町政最初の組織機構(2部6課制度の導入)
役場のしくみ (昭和42年7月7日現在)