明治2年8月29日、太政官の弁官より呼掛有り、公用人佐々木長兵衛を使者として出頭せしめしに「願之通、被仰付候条、諸事開拓使府へ可伺出候事」という指令が交附された。越えて9月6日弁官を経て御沙汰書が伝達された。
「太政官日誌」明治2年9月3日の条に掲出されておる御沙汰書の全文左の如し。
御 沙 汰 書
東本願寺光勝
今般北海道新道切立願之通被 仰付候 付開拓使之指揮ヲ受ケ可致尽力
旨御沙汰候事
又、「今般本願寺東門主より北海道新道切立之願且有志之信徒新開村落へ移住人民救輸為致度段願之通被度許万事其府へ可伺出旨申渡候此段相違候事□但北海道土地支配被仰付候藩々へ為心得其府ヨリ可相違事」という、御沙汰書が同年8月28日付を以て開拓使へも下付されたのである。 以上(『東本願寺北海道開教史』より)