このような陳情活動の最中、道路改修期成同盟会発会式の座長を務めた、銭亀沢村の道会議員中宮亀吉は大正10年8月20日、下海岸に初めての乗合自動車を運行させている。
中宮は翌11年、この乗合自動車会社を藤野清次に譲っている。この譲渡の経緯や当時の様子について、清次の子息、藤野清の談話が『函館バス20年の歩み』の中に載っているので関係事項について触れておく「……中宮亀吉という人が会社を設立して許可をとり湯川・戸井間の乗合自動車を開業したが経営難に陥ったので、当時乗合馬車を経営していた藤野清次郎がこれを譲り受けて乗合自動車を開業した。自動車は二台、一九一九年T型フォード一台とシボレー一台で、湯川・戸井間を一日二往復、運行時間は天候により相当の相違があったが、約二時間三十分位であった。運賃は戸井迄一円二〇銭−乗合馬車より相当高額であったが、当時の下海岸はイワシの大漁続きで景気もよく客もあったが、道路は非常に悪く大雨や長雨が続くと運行は休止となった。(昭和2年下海岸自動車株式会社設立)その後、政治的工作により、藤野は道庁より運行停止命令が出て昭和三年止むを得ず休止した」。