戦時下のバス会社の統合

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 昭和12年11月6日、鉄道省監督局長は地方長官(知事)に「代燃車(木炭車)によるバスの増車は認めるが、ガソリン車による増車は認可抑制する」と通達した。
 翌13年4月1日には国家総動員法(註)及び陸上交通調整法が公布され、5月1日には揮発油及び重油販売取締の規制の施行によってガソリンは切符制となった。さらに14年2月からはタイヤ・チューブも切符制となる。
 15年10月1日からはガソリンの消費規制強化策、具体的に『①バス代燃転換向上(ガソリン以外の燃料の効率化)、②遊覧を目的とする事業の運航停止、③遊覧地域の乗降制限、④未統合業者に対するガソリンの配給停止、⑤自家用車の徹底的使用制限』の5項目が実施され、同月28日には産業報告会の結成が指示され5項目の点検が行われた。
 16年5月12日、商工省は自動車修理用部品配給統制規則を公布し、主要部品95品目は生産配給となり、6月15日には瓦斯(ガス)用木炭統制規則が公布され、8月1日ガソリンの配給停止、7日、鉄道省監督局長は地方長官(知事)に「旅客自動車の全面的代燃化措置(木炭車への改造)及び路線の休廃止、運行時間の制限」などを示達した。
 この年、昭和16年12月8日、わが国はハワイ真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争に突入、商工省・鉄道省・内務省は連名で(戦闘機などの燃料であるガソリンを確保するため)自動車の代用燃料化の強化徹底の示達をした。そして、自動車業界は経営難と窮乏のどん底へと突入したのであった。翌17年8月21日『旅客自動車運輸業統合実施』が、鉄道省監督局長から示され、10月27日には北海道庁保安課より「旅客自動車運輸業統合要項」の提示があった。