昭和44年(1969年)日浦・原木間の新隧道工事

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 原木・日浦間旧道路は、工事に当たった技術者をして「路線最大の難工事であった」と言わせたが、昭和3年、海岸の柱状節理の岩壁に7ヶ所の隧道を穿ち、開削不能箇所にはコンクリートの橋を架け、ようやく落成させた区間である。この路線には当時としては珍しく部分舗装も施し、8月以降は待望の下海岸自動車も乗り入れた。しかし、時化の季節は路面を波が洗い、素堀りの7ヶ所の隧道(トンネル)からは度々の落石など、危険な区間であることには間違いなく再三再四の改良要請を行ってきたが、抜本的な改修は行われなかった。

[図]

 この新隧道工事は路線の国道昇格を機に、海岸の崩落箇所を避け、800メートル余りの安全な長いトンネルをくりぬくという新しい路線の大規模な工事であった。
 昭和44年度から同46年度までの3か年計画の概要を以下に示す。
 尚、この日浦トンネルの管轄は北海道開発局「函館開発建設部」である。

[表]
(注)45・46年度の工事期間・工事費はともに予定である。