まず〈資本金〉の117倍であるが、昭和20年と39年では貨幣価値から比較にならないので、昭和26年の「函館バス」に社名を変更した年と比較すると6.3倍となっている。〈車輌台数〉は約3倍、〈従業員数〉は7倍余りである。〈走行距離と輸送人員〉は29年からのデータで、この年を100とし、38年にはそれぞれの指数218と323、2倍、3倍を超える伸びとなっている。そして肝心な〈総収入〉については、29年以降、増収に継ぐ増収で38年には約2.8倍の収入をあげる伸びとした。
これらの数値からみる限り、戦後20年、函館バスの事業は飛躍的に伸びており、路線バスは、下海岸路線はもとより、鉄道の敷かれていない地方の人々の足となり、毎日の生活に欠くことのできない存在となっていった。
昭和26年、社名を函館乗合自動車から『函館バス』に変えた年には、事業の発展をめざし最新のリアエンジンの大型観光バスを導入、ウグイス嬢(ガイド)を採用、観光事業にも参入。会社は27年からも毎年増資を繰り返し4年間で資本金は3倍余りとし、営業路線の拡張・事業の拡大を図った。しかし、この急成長の中、労使に大きな歪みも起こった。
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