郵便事業の確立

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 明治8年(1875)から郵便を取扱う機関の名はすべて「郵便局」と称するようになった。郵便路線は国内のほか琉球にまで通じた。そして、同年1月、米国との間の郵便条約が締結され、ヨーロッパへの郵便物もアメリカ経由で送られる道が開かれた。明治10年(1877)には万国郵便連合への加盟が認められた。
 明治15年(1882)12月には「郵便条例」が制定され、翌年1月より施行された。
 郵便に関する法令については明治4年(1871)に郵便規則が公布され、その後、年ごとに改定が加えられてきたが、この「郵便条例」により、(現在の)郵便物の第1種から第4種までの分類がなされるようになるなど法令は整った。
 郵便事業を管掌したのは初めは駅逓司であったが、駅逓寮となりさらに、駅逓局と改称、統轄する官庁も民部省から内務省さらに農商務省へと変遷を重ねた。
 明治18年(1885)12月、内閣制度が発足すると新たに「逓信省」が設けられ、工部省から移管された「電信局」などとともに「駅逓局」も逓信省の1局となった。ここに通信と運輸に関する業務は「逓信省」が統一して管掌することになった。
 明治20年(1887)2月には、現在も郵便局のシンボルとなっている『〒』、テイシンのテをデザインした郵便マークが制定された。
 明治25年(1892)には、小包郵便の取扱いが開始され、損害の賠償も定められる。
 明治33年(1900)には、新た「郵便法」が制定、郵便為替法・電信法などとともに、『通信』に関する法体系が確立した。