〈郵政省〉 郵便事業を統轄してきた逓信省は、太平洋戦争下の昭和18年(1943)11月、決戦に備えて通信と交通の一元化を図るため、鉄道省と合併して「運輸通信省」に改編された。その外局として「通信院」が設けられ通信業務を統轄した。
通信院は昭和20年(1945)5月、内閣の直属となって逓信院と改称されたが、戦後の翌21年(1946)7月には再び「省」に昇格して逓信省が復活した。
昭和22年(1947)12月、日本国憲法の精神に基づいて、『新しい郵便法』が公布、翌年1月から施行。郵便業務の目的は「なるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の福祉を増進すること」と示され、サービスの向上が約束され、検閲や国民の基本的権利を制限するような規定はことごとく廃された。
昭和24年(1949)6月1日、連合軍総司令部(GHQ)の意向に基づいて逓信省は解体され、「郵政省(郵便業務)」と「電気通信省(電信電話業務)」が発足した。
昭和27年(1952)8月、「日本電信電話公社」が発足し、電気通信省所管の業務内容が移管されることになり、同省は廃止された。なお、日本電信電話公社は昭和60年(1985)4月1日、民営化し日本電信電話株式会社(NTT)として再出発、携帯電話などの新しい事業を展開、発展を続けている。
一方、郵政省は本来の郵便業務(郵務)のほかに、「為替貯金」「簡易生命保険」の業務を統轄、電気通信及び電波事業を監理するという業務が増え、組織と権限が強化された。地方における郵便の取扱機関としては、全国を11地域に分けて地方郵政局が設けられ、各地域における業務を分掌する。この地方郵政局の業務のうち現業事務を行う機関が、全国の隅々にまで設置されている『郵便局』である。
〈郵便局〉 郵便局の業務は、窓口で郵便物の受取り、郵便ポストに入れられた郵便物を一定の時刻に取集める。集められた郵便物は、種類・形状・大きさなどにより分類され、日付印を押した後、宛先ごとに区分、配達局間で運ばれる。配達局ではいくつかの配達区ごとに区分され、一定の順路に沿い戸ごとに配達される。
郵便局は、大きく「普通郵便局」「特定郵便局」及び「簡易郵便局」に分けられる。
明治18年(1885)の逓信省発足後、郵便局は1、2、3等に区分された。
このなかの3等郵便局は、地方の篤志家が自宅を提供して郵便取扱所としたものに由来する。創業の当時、全国くまなく郵便取扱いの機関を設けることは政府の財政が許さなかった。前島密はこのことをふまえ、郵便取扱人を地方の有志から採用して官吏に準ずる待遇を与え、その居宅を仮役所に当ててもらうことを構想した。
これが3等郵便局として位置づけられた。そのうち規模の大きな局は集配業務も取扱うようになったのである。3等郵便局の局長には俸給がなく、業務は請負制で所要経費は一括して渡され、その中から局長は人件費や物件費の一切を支弁した。
昭和16年(1941)2月1日郵便局の等級は廃止され、1、2等局を合わせた「普通郵便局」3等局は「特定郵便局」と改称の2本立てとなった。特定郵便局の集配・無集配の別は従来通りであったが、局長手当の増額や局舎料の支給、人件費の直轄経理への移管など、さまざまな改革が行われた。
昭和23年(1948)以降は、特定局長も一般職の公務員とするほか、いくつかの改革が行われ、運営の面では特定局と普通局との区別がほとんどなくなった。この特定局の割合は郵便局総数の80パーセントに達している。
「簡易郵便局」は辺鄙な地方にまで窓口機関を普及させる目的で、昭和24年(1949)に創設された。当初は地方公共団体(市町村)や協同組合に業務を委託したが、昭和45年(1970)には受託者の資格を個人にまで拡大した。