占領軍は昭和20年10月22日、「日本教育制度の管理」に関する指令を文部省に出し、引き続き同年末までに3つ、昭和20年中に計4つの指令を出した。特にきびしかったのは、第1の指令の中の“軍国主義、極端な国家主義的思想及び教育の徹底的な排除”であった。占領軍・連合国軍総司令部(GHQ)が行った戦後の教育改革には明らかに懲戒的色彩をもつ処置や、わが国の伝統的な文化・風土に即しがたいものがあったことは否定できないが、わが国の教育の民主化・教育水準の向上、社会教育の普及など大きな効果をもたらしたことも事実である。
占領軍の4つの指令
①日本教育制度の管理に関する指令 (昭和20年10月22日)
②教員および教育関係者の調査、除外、認可に関する指令 (昭和20年10月30日)
③国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、監督ならびに弘布の廃止に関する指令 (昭和20年12月15日)
④修身・日本歴史および地理の停止に関する指令 (昭和20年12月15日)
これらのきびしい指令は、敗戦直後の教育界を異常な不安と混乱に陥れた。国家主義・軍国主義の指導者として、これまでの指導層から多くの人が追放された。指導に関わる刊行物・文書・教材、施設設備すべてを学校から撤去された。学校の最も神聖なる場所として、朝な夕な崇めた奉置所(御真影奉安殿)は、いとも簡単に取り除かれた。勿論、儀式に日の丸を掲揚し君が代を歌うことも禁じられた。
そして、教科書から、①国防軍備を強調したもの、②戦意高揚を図ったもの、③終戦にともない現実と事態と著しく遊離し、または今後における児童生徒の生活体験とは、はなはだしく遠ざかり教材として価値を失ったもの(訳文のため意味がわかりづらい)、④国際和親を妨げる怖れのあるもの、⑤その他、承認必謹の点にかんがみて適当でないもの(学制90年史より)。
教師らは連日夜を徹して、これらの項目に当てはまる箇所を捜し、削除していく作業が行われたのである。そして、児童生徒に、ページが切り取られたり、所々墨で消された教科書が渡された。彼等はこれまでと180度転換した指導に、ただ戸惑うばかりであった。
明けて、昭和21年(1946)、連合国軍総司令部(GHQ)にとっても、新しい日本国建設の基盤としての教育改革は、大きな課題であった。