[青年団の活動]

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 青年団成立以前、郷土の古老の話によれば、明治の初期頃からか、若者連中とか若者組とか呼んでいた青年の仲間があり、彼等は「若者条目」と称する何箇条かの掟により、日常生活を営み、漁場での仕事をしたり、村の行事などに仲間内で参加していたという。
 「若者条目」には、礼儀、道徳、風俗、身分など遵守すべき事項が揚げられていた。若者組への仲間入りは15歳の頃で、嫁を貰うと退くのが普通であったが、妻帯し30歳を超えてもまだ加わっている者もいたという。いずれにしても当時、村の青年は一度は若者組に入らなければならなかったし、そこで初めて一人前として認められ、結婚の資格も、神事祭礼への参加もできたし、出稼ぎに出ても若者組は丁重に受け入れられたという。
 若者達の日常の生活は昼間は家業(漁業)に励み、夕食後、集会所(網元などから借り受けた納屋など)に寄り合い、網の繕いや漁具づくり、藁仕事などを行いながら漁師としての知識や技能を互いに学び合っていた。そして、この夜なべの楽しみは娘っ子の噂話だったろう。
 若者組の村での役割は、祝儀、葬儀の使い走り、緊急時の動員、医師や患者の送迎や夜警・消防・難破船の救助などに活躍したが、彼等が一番華やいだのは、何と言っても村祭りで、芝居や奉納相撲の興行を仕切ったときであろう。
 若者組の組織については、組頭、その下に小頭、世話人などの役員があって、選挙あるいは年長順で推挙されたが、いずれにしても権威と責任は相当大きかったという。そして、組織の秩序は厳しく、それを乱したり組の名誉を傷つける行為には、絶交・仲間外れの制裁が加えられた。こうした処罰には詫び証文や仲介人を立てて謝罪するのが普通であった。
 若者組のような組織・しきたりは内地の漁村に多くみられるかたちである。おそらくはこの地に移住してきた先人らが、互いに漁業を営むために組織と秩序の必要性を痛感し、古里のしきたりを取り入れたことに始まると思われる。