[菅江真澄の紀行文より]

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 菅江真澄(宝暦4~文政12年・1754~1829年)は、三河の国(現在の愛知県)に生まれる。姓は白井、本名は英二、雅号を秀超・秀雄という。菅江真澄と改名したのは文化7年(1810年)、57歳の時である。
 白井家は神職の家柄で祈祷・施薬を職能としたが自らを多く語ることなく、その前歴については不明な点が多い。ただ真澄の書いた日記や紀行文から、国文学・本草学についての深い学識が認められる。これらの基礎知識があったからこそ、後年の長旅(1782年、故郷を出立、46年間各地を回り、旅先の秋田で死去・76歳)で、各地の地理・歴史・伝説・植物などを調べ、国文・和歌・薬草などを教え、それぞれの土地で知己を得、歓待されたものと推察される。