三、海難死した人の火玉や亡霊の話

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 漁村だから昔から数多くの海難死者があったが、その度に火玉が飛んだとか、亡霊が出たという話がいろいろあった。火玉のことを方言で「タマシ」といっている。タマシはタマシイ(魂)の訛った方言であろう。
 漁村では海難者があると、死体が見つかるまで、夜浜辺の波打際近くに迎え火を焚き、鐘鼓を「カーン、カーン」と打ち鳴らし、念仏を唱えながら、死体が早く上(あが)るようにと祈る習慣がある。
 こういう時に、波打際から焚火のそばまで人の足跡がついていたとか、肉親の人にだけ亡霊の姿がありありと見えたなどということは、よく聞く話である。
 又死者の亡霊が親戚の家やお寺に行って、仏壇のリンを鳴らしたとか、水がめを鳴らしたとか、板敷のところをガタガタ鳴らしたということもよく聞く話である。
 こういう話は全国のどこの漁村でもあるようだ。
 海難死の時ばかりではなく、タマシを見たという人はずいぶん多い。火玉を見ると「あれは誰々のタマシだ」とか「誰かが死にかかっているのではないか」とか「誰かが死んだのではないか」という。この火玉は同じ場所にいても見える人と見えない人があるといわれ、火玉が飛ぶと大てい、火玉の飛んだあたりの人が死んだりして、その予想が的中(てきちゅう)するという。
 戸井には次のような海難死者の亡霊の話がある。
 或る年、青年が海難死した。死んだ日の夜中に青年の亡霊が近くに嫁いでいる姉の枕元に、びっしよりぬれた淋しそうな姿で立ち、何かボソボソと低い声でつぶやいている。うつらうつらしていた姉が何物かの気配(けはい)に目をさまし、「あ!弟が来た」と思った瞬間に弟の姿が消えた。姉が驚ろいて起きて見ると、弟の亡霊が立っていたあたりの畳がグッシヨリと濡れており、そこから裏口まで濡れた足跡がついていたという。
 昔、磯舟でブリ釣りに出漁した兄弟が、俄かに襲ったシケに遇って行方不明になった。例によってその家の前浜に迎え火を焚き続けていた。その兄弟の祖母も鐘鼓を叩きながら念仏を唱えていた。すると夜中に焚火の焔の向側に兄弟の姿がぼんやりと見えた。祖母は驚ろいて「あ!誰々が来た」と大声で叫んだ。一しよにいた人々が老婆の見ている方向を見たが、何も見えなかったという。
 津軽海峡の真中で遭難したこの兄弟の死体は遂に上らなかった。