脇野沢村の松ケ崎というところに、石神神社という社(やしろ)がある。
菅江真澄が寛政五年(一七九三)に、このあたりを訪れ、石神神社の由来について書いている。
「五月一日 脇野沢の宿を出立した。神明の社に幣(ぬさ)をとって奉ると、ホトトギスの声がしきりに聞こえた。松ケ崎といって、木々の覆い茂り合っていて、おもしろい風景の所である。
昔ここの浦人がナマコ網にはいった石を引き上げて、ここにすえて石神として祭ったものだというが、昔よりは、このように石が高くのびてしまったと、村人が語っていた。」(奥の浦々)
この石神の由来について、脇野沢村勢要覧に次のように書かれている。脚色されたような形跡が感じられるがそのまま書いて見る。
脇野沢村字辰内、通称松ヶ崎に石神神社がある。
この神社の由来は、延宝の昔(一六七三―一六八〇)、この土地の漁師が、松ケ崎の沖合にナマコ曳(ひ)きに出たが、いつもはたくさんはいるナマコが、全然はいらず、瘤(こぶ)のある石が一つはいった。漁師はその石を海へ投げ捨てて、もう一度曳(ひ)いたが、今度もナマコは一つもはいらず、捨てた石が再び網にはいって来た。
漁師は「不思議なこともあるものだ」と思い、気味(きみ)が悪くなり、ナマコ曳きをやめ、その石を舟に積んで帰った。舟が岸へ着くと、舟着場(ふなつきば)のところに、日頃占(うらな)いなどをする老人が立っていた。漁師が舟から下りると
「一昨夜、夢枕に白髪の仙人が現れて「明日、何某のナマコ網に神石がかかるから、それを松ケ崎に祀(まつ)るようにしてくれ」という御告げがあったので、今朝からここで待っていたのだ。そのような石が網にかからなかったか」といった。
これを聞いた漁師は大いに驚き
「誠にその通りである」といって、石を見せ「ナマコが一つもはいらないでこの石がはいったので、石を海に投げ捨てて又曳いたら、やはりナマコが一つもはいらず、この石が又かかった。あまりに不思議なので、ナマコ曳きをやめて帰って来た」と語った。
そこで二人はこのことを村人たちに知らせ、白髪の仙人の御告げの通りに、松ケ崎に祠を建てて、ねんごろにその石を祀って石神として崇(あが)めた。
この石は年々大きくなると伝えられ、現在は五尺くらいある。この石神は昔から諸願成就の神といわれ、特に縁結びの神として霊験あらたかであるといわれて、村人たちが崇敬している。この石神に願を掛ける時は、赤い布切(ぬのきれ)を持って行き、石神の御神体の瘤(こぶ)に結んで祈願する。
「註」日本各地に「石神」があるが、大てい木や石でつくった男根を祀っていて、生殖の神とされている。脇野沢の石もこの種のものであろう。