(7)戸井村の第一回国勢調査員(大正九年)
(註)国勢調査員には「国勢調査員ヲ命ズ 大正九年七月二十日 内閣」という辞令と徽章が交附され、大正九年十月一日午前零時を期して、我が国始めての組織的な科学的な国勢調査が全国一斉に実施された。
我が国でも、開闢(かいびゃく)以来、国・幕府・藩がいろいろな形で屢々戸口調査を実施しているが、何れも部分的なもので極めて不正確なものであった。明治以降も屢々戸口調査を行っているが、非科学的な調査であったので、その数字は不正確なものであった。
然し大正九年十月実施した第一回国勢調査は、従来の調査と比較して最も組織的な科学的な調査であったので、その調査結果は開闢以来最も正確な数字である。
大正九年の国勢調査は、政府が西欧諸国の調査組織や方法を十分研究し、全国津々浦々の住民の中から末端の国勢調査員を任命し、調査員には「内閣辞令」を交付し、中央政府―都道府県―市町村という一大組織づくりを行い、調査員に対する講習を行って、調査の意義や方法を徹底させ、国民に対しては事前にあらゆる方法で啓蒙宣伝を行って協力を呼びかけ、大正九年十月一日の午前零時を期して、全国一斉の戸口調査を実施したのである。日本の戸口調査としては、開闢以来の画期的な方法であり、このために動員された調査員と費用は莫大(ばくだい)なものであった。
人口位流動の激しいものはない。毎日々々生れる者あり、死ぬ者あり、旅行する者あり、生存はしているが行方不明の者ありという状態なので、十日も二十日もかかって調査したのであれば、全国的な集計では大きな数字の誤差が生ずる。現在のインドでは年間一千三百億もの人口が増加しているというが、そのような国では一層正確な人口を調査することが困難であろう。
大正九年十月一日の人口調査は、人間の流動の最も少ない午前零時即ち最夜中に調査したのである。十月一日午前零時の現状即ちその時間にその地域その家屋内にいた人を調査したのである。人口が少く人口の流動の少ない田舎では大した問題もなかったが、人口流動の激しい都市や都市で深夜営業をする家の調査に当ってはいろいろな問題があり、調査に当った調査員の苦労があった。
こういうことを考えた政府や関係官庁では、調査員の任命に当っては、それぞれの地域の有議者のうちで年令が若く行動力のある者を厳選して任命したのである。前に掲げた戸井村の調査員の顔ぶれを見てもそのことが推定される。
大正九年十月一日の国勢調査は、我が国開闢以来の大事業であり、従って戸口調査の結果は、開闢以来最も正確な数字である。
この大事業に協力した戸井村の国勢調査員は殆んど故人になり、健在なのは西浜町の加藤基太郎翁だけである。
大正九年十月一日調査の下海岸諸村の戸数人口は次の通りであった。
[下海岸諸村の戸数人口]
下海岸諸村は当時、函館支庁に属していた。