太平洋戦争の開始と背景

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 満州事変・日華事変と大陸へ進出を続けていた日本は、昭和十五年九月以後フランス領インドシナへも進出をはじめ、更に日独伊三国軍事同盟を締結するなど軍部はファッショ化の傾向をエスカレートさせていた。
 こうした空気の中で日米間の関係は極度に悪化し、イギリス・オランダもまたアメリカに同調する態度を見せはじめた。またこれより先八月アメリカは、日本に対する石油をはじめとする全ての軍需物資の輸出を禁止する政策に出た。(このとき輸出が認められていたのは、わずかに綿花と食糧だけであった。)
 戦争を遂行していくために石油は何物にも替えがたい、どんな犠牲を払っても手に入れねばならぬ資源であり石油の輸入が途絶することは、軍部にとって致命的な打撃であった。このためついに昭和十六年十二月対米開戦の決定がなされることになったのである。
 
     対米英宣戦布告(部分要約)
    宣戦の大詔
        詔事
   天佑(てんいう)ヲ保有(ほいう)シ万世一糸(ばんせいいっけい)ノ皇祚(こうそ)ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠(ちゅうせい)勇武(ゆうぶ)ナル汝(なんじ)有衆(いうしゅう)ニ示ス朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣(せん)ス
                  (中略)
   中華民国政府曩(さき)ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫(みだり)ニ事(こと)ヲ構(かま)ヘテ東亜(とうあ)ノ平和ヲ攪乱(かくらん)シ遂(つい)ニ帝国ヲシテ干戈(かんか)ヲ執(と)ルニ至(いた)ラシメ茲(ここ)ニ四年有余ヲ経タリ幸(さいわい)ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之(これ)ト善隣(ぜんりん)ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相(あい)提携(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)タ牆(かき)ニ相(あい)鬩(せめ)クヲ悛(あらた)メス米英両国ハ残存(ぞん)政権ヲ支援(しえん)シテ東亜(とうあ)ノ禍乱(からん)ヲ助長シ平和ノ美名(びめい)ニ匿(かく)レテ東洋制覇(せいは)ノ非望(ひぼう)ヲ逞(たくまし)ウセムトス剰(あまつさ)ヘ与国(よこく)ヲ誘(いざな)ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備(ぶび)ヲ増強(ぞうきょう)シテ我(われ)ニ挑戦(ちょうせん)シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ与ヘ遂(つい)ニ経済(けいざい)断行(だんこう)ヲ敢(あえ)テシ帝国ノ生存(せいぞん)ニ重大ナル脅威(きょうい)ヲ加フ朕(ちん)ハ政府ヲシテ事態(じたい)ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復(ふく)セシメムトシ隠忍(いんにん)久(ひさ)シキニ弥(わた)リタルモ彼(かれ)ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局(じきょく)ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此(こ)ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々経済上軍事上ノ脅威(きょうい)ヲ増大(ぞうだい)シ以(もっ)テ我(われ)ヲ屈従(くつじゅう)セシメムトス斯(かく)ノ如(ごと)クニシテ推移(すいい)セムカ東亜ノ安定ニ関スル帝国積年(せきねん)ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡(すいほう)ニ帰シ帝国ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕(ひん)セリ事(こと)既(すで)ニ此ニ至ル帝国ハ今(いま)ヤ自存自衛(じぞんじえい)ノ為蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破砕(はさい)スルノ外(ほか)ナキナリ
 
 次にこのままでは意味がわかりにくいので概略を平易な文章にするとおよそ次のようなことである。
 
   朕は(天皇)米国と英国に宣戦を布告する
  米国と英国は、中国に残存している重慶政府を援助し、平和という美名にかくれて東亜の平和をみだしている。日本は慎重に行動しがまんを重ねて平和が回復されるように行動してきたが、米英は、少しもその気持を理解しないばかりか、互いにゆずり合うともしない。このため日本国は、自国の自衛のために一切のさまたげを打ち破るよりほかはなくなった。