昭和二十二年

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・一月三十一日 GHQにより二月一日に予定されているゼネストの中止命令が出る。
・一月三十一日 日銀券発行高一千億円を突破する。
・三月三十一日 教育基本法・学校教育法が公布される。
・四月五日 始めての公選知事選挙が実施され、四月十七日決選投票の結果、田中敏文が北海道知事となる。
・四月七日 労働基準法公布・四月十七日地方自治法公布。
・五月三日 日本国憲法施行・地方自治法施行。
 以上のように昭和二十二年の前半の五か月はGHQのリードにより、日本の民主化路線が押し進められたが、一方では戦後の復興資金のために日銀券の発行高が増大し、インフレ化が急速に押し進められつつあった。またこの頃より文化国家建設が強く叫ばれ、新聞やラジオはこの言葉を好んで使用するようになっていた。
・七月二十日 主食遅配全国平均二十日北海道九十日となる。(史料『明治百年』、朝日新聞社刊)
・十二月一日 百万円宝くじ売出し。
・十二月二十四日 日銀券二千二十四億円突破する。
 昭和二十年、二十一年と不作が続き、その上引揚者・復員軍人等で国内人口は急激に増加し、加えて工場は焼かれ、交通機関は麻痺状態になっていたため、食糧危機は非常に深刻なものとなった。世間ではこのような暗い生活を少しでも忘れようとして笑いが求められるようになり、エノケン・ロッパ・エンタツ・アチャコなどの喜劇映画がもてはやされ、洋画では「ターザン」が大人気であり、その他では「心の旅路」や「ガス灯」などの名作が上映されていた。また流行歌では「港が見える丘」・「夜のプラットホーム」・「鐘の鳴る丘」・「みかんの花咲く頃」が歌われ、「小説新潮」や「宝石」が復刊された。
 戦争が終った後も苦しいことが多かったが、この年終り頃から次第に明るい話題もぼつぼつ現われるようになって来始め、人々は、ようやく希望を持って明日の生活へと歩を進めるようになった。
 この頃の流行語には、GHQ・遅配・欠配・ヤミ市・新円・タケノコ生活などがあり、NHKの放送では、素人のど自慢・話の泉・カムカムオジサン等の番組があった。