昭和二十九年

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・一月一日 五十銭以下の小銭が廃止される。昭和二十九年の函館における値段。清酒一級一升、千九十円・ヤミ米一升、五月、百五十円・七月、百七十円・塊炭(石炭)一屯、六千四百円・NHKラジオ一ヵ月、六十七円というような有様であり、インフレのため五十銭以下の小額単位のお金はほとんど使用されなくなっていた。
・一月二十一日 アメリカ原子力潜水艦ノーチラス号進水。
・一月 吉岡村で青函海底トンネル地質ボーリング開始。
・三月一日 ビキニ水爆実験で第五福竜丸被災。
・三月八日 日米MSA協定調印(五月一日発行)
 MSAというのは、アメリカの相互安全保障による対外援助で、軍事援助を中心に、経済、技術等の援助がなされたものである。日本はこの年三月八日に協定を調印し、この結果保安隊が自衛隊に拡大されることになった。
・七月一日 防衛庁、自衛隊発足する。函館海上自衛隊函館基地新発足。
・七月九日 ハル国連軍司令官、米軍の北海道年内撤退を発表。
・七月十日 北洋博覧会を函館で開催。
・八月七日 天皇来道。
・八月十二日 日本ガットに加入。
・八月十六日 大蔵省「今後の経済政策の基本的考え方」を発表。(要約)
 
   インフレによらざる経済規模の拡大を実現するためには、国民経済の各分野において、生産性を向上し、コストの引下げを図ることが肝要である。ところで資源に乏しく人口の過剰な我が国においては、生産性の向上は、コストの引下をもたらすが、その反面、失業の増大という困難な問題を伴う場合が多い。コストの引下と雇用の増大ということは相容れざる矛盾であるかに見えるけれども、この二つ要請を同時に達成することは、容易でないにしても決して不可能ではなく、この点を解決して進むことこそ今後の経済政策の目標である。
 
 この基本的な政府の考え方が、後にインフレを抑制し且つ神武景気と呼ばれる好景気をつくり出すようになる。
・九月二十六日 台風十五号本道を襲い、青函連絡船、洞爺丸・十勝丸・日高丸・第十一青函丸沈没する。
・十月五日 日本、コロンボ会議に加入。
・十二月十日 鳩山一郎内閣成立、十九日、対ソ共存を示唆し米との提携も崩さずとの外交方針を示す。
・この年、流行歌では「ひえつき節」・「黒百合の歌」・「ウシュクダラ」・「五つ木の子守歌」などが流行する。また映画では「七人の侍」・「女の園」・「二十四の瞳」・「太陽のない町」・「山椒太夫」などが上映される。
・この他出版界では、新書版が大流行し「女性に関する十二章」伊藤整がベストセラーとなる。
・日本短波放送が開始され、夜間に勉強する学生や夜間労働の人々を喜ばせる。