前にも記したように明治十九年十二月の勅令では、北海道庁長官は内閣総理大臣の指揮監督下に属していたが、その後明治二十三年七月の改正に依り、北海道庁は内務省の管轄に移り、北海道庁長官は内務大臣の指揮監督下に属することになった。
北海道庁が内閣総理大臣から内務大臣管轄下に移された理由の主なものは、内閣制度の整備と合理化を図ろうとするものであったが、このことは北海道庁にとっては以前各省と同等の行政力を有していた開拓使とは、比較にならないほどの日本の行政機構の中における位置の低下であった。
その後更に明治二十四年七月に官制改革があり、長官・書記官・警部長・財務長・参事官等が置かれ、北海道庁の行政面は長官官房・内務部・警察部・財務部・監獄部に分けられることになった。このような経過の中で、北海道庁の行政は中央集権体制の確立をねらいとする政府の方針に依り、ますますその実力を失い各県と同等の内務省下の一行政体となり、北海道開拓の為に有ったいろいろの特典を失っていくことになった。
しかし日清戦争前後から国防上及び日本の国力増進上の理由により、北海道の開拓を見なおそうとする動きが現われ、これに伴って政府内にも北海道庁の機構改革を行おうとする気運が起りつつあったのである。ついに明治三十年十月に至り北海道の行政機構はまたもや改正されることになった。『新北海道史第四巻通説三』は当時の状況を次のように記している。
明治三〇年一〇月の北海道庁長官制改正は、北海道の行政機構の原型をほぼ確定したものである。その概要は、長官・事務官五(内一人勅任)・警部長・支庁長・参事官三・警視二・典獄一・技師二四・属以下警部・監獄書記・看守長・監獄医まで七七一(判任)・技手一三六・飜訳生二を定員とし、長官官房のほか内務部・殖民部・財務部・警察部・鉄道部・土木部・監獄署の六部一署を置いた。
(中略)
同時に制定された北海道庁高等官等俸給令によれば、従来三府とほぼ同等の位置におかれたものが、一等ないし数等上位にランクされることになった。とくに郡区役所を廃して支庁とした結果、支庁長の地位は大幅に府県の郡長を越えることとなった。