満州事変後の行政

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 外地における昭和六年九月満州事変の発生同七年の満州国建国、そして国内における昭和六年七年の恐慌・冷害・凶作等は、国民生活を圧迫し社会不安は日に日に増し、道民に非常時到来を痛感させたばかりでなく、一方では労働運動や農民運動などを尖鋭化させる原因となっていた。
 このような社会情勢の中で北海道庁は、道民救済の応急措置を行いながら、昭和七年十二月『農山漁村経済更生計画ニ関スル件』などの布達を発し、道民に対し事態収拾のための努力を呼びかけていた。
 またこのような内外非常時に当たり政府及び道庁は、強力に町村に対し行政指導をするとともに、国民精神運動・皇室の尊崇・青年層の教化など精神面の充実を図るための種々の計画を求めるようになり、これはやがて町村において健康運動・郷土運動・青年運動などの具体的な形で実施されるようになっていった。
 こうした状況の中で道庁の事務は次第に増加していき、官吏員数は昭和六年から十二年までの間に約五割増加し、市町村においても職員数の増加がみられた。
 その後道庁では、昭和七年二月道庁部課の廃合が行われ、更に昭和十年一月から総務部・経済部・学務部・警察部・土木部・拓殖部の六部制とされ、こうした改正合理化の中で経済行政の改善・充実を図り、更に地方事務官の充実を図ろうとしていた。