満州事変以来道民の経済状態は悪化していたが昭和九年再び冷害・凶作に襲われ、更に強力な不景気風の中に置かれている状態であったが、昭和十二年七月日華事変が勃発するに至りこれに加えて一挙に戦時色が深まり、国・道庁はもちろん市町村に至るまで非常時経済政策がとられることになり、人々の生活はまさに泣き面に蜂的状態となった。
このような情勢下にあって北海道庁長官は七月『召集・徴発事務の遂行・銃後の後援の万全・防空態勢と治安維持の強化』を求める訓示を与え、九月には次のような告諭を発している。
告諭(新北海道史第五巻)
本道は北門の鎖鑰皇国資源の宝庫として国策上重大なる使命を有し、而も開道以来皇恩に浴すること頗る厚し。道民たるもの深く思を此に致し、聖旨を奉体し告諭の精神に遵ひ、克く皇軍出師の大義を明かにし、出でては義勇国難に赴き、入りては自主本道の防護に任じ、愈々銃後の護りを固くして出征将兵の慰藉激励と遺家族の擁護に万全を期し、更に報国の至誠を教育産業金融経済等万般に具現し、克く国力の根基を培ひて現在竝に将来に備え、以て国民精神総動員の実を挙ぐるは刻下道民が君国に報ずる要道なり。
事変後、国民精神総動員運動が強くさけばれ、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」などの精神的統一がはかられ、更に国民は非常時財政経済に対する挙国的協力を求められた。こうした中で市町村においては、軍人後援会・在郷軍人会・愛国婦人会・国防婦人会・青年団等の活動が活発化され、防空法に基づき各地で防空演習に真剣に取り組まれることになった。