昭和二十年九月二日、ダグラス・マッカーサー元帥を総司令官としたG・H・Q、『連合軍総司令部』が開設され、同日『陸海軍解体』・『軍需工場停止』の命令が出され、これを手はじめとしてその後G・H・Qに依り、次々と日本の諸制度の改革を指令されるようになった。次に各種の指令の中から、主なものについて項目を上げてみることにする。
・五大改革の指示
昭和二十年十月
一 選挙権賦与による日本婦人の解放(男女同権)
二 労働の組合化促進(労働組合の結成奨励)
三 より自由主義的教育を行ふための諸学校の開放(教育の自由主義化)
四 秘密の検察及びその濫用が国民を絶えざる恐怖に曝らしてきた如き諸制度の廃止(全体主義からの解放)
五 生産及貿易手段の収益及び所有を広汎に分配するが如き方法の発達により独占的産業支配が改善されるよう日本の経済機構が民主主義化されること。(経済の民主化)
・軍国主義教育の停止と民主化
(1) 教育関係者の資格についての指令
(昭和二十年十月三十日)
軍国主義や国家主義者の教育界からの追放。
(2) 日本の教育制度の管理についての指令
(昭和二十年十月二十二日)
議会政治・国際平和・個人の尊さ・集会の自由・言論の自由等人間の根本的権利を教えたり、行いを身につけるように。
(3) 国家神道についての指令
(昭和二十年十二月十五日)
信教の自由をおかしてはならない。
(4) 修身科・国史科・地理科の中止についての指令
(昭和二十年十二月三十一日)
軍国主義・国家主義教育の禁止。
・戦争責任体制の精算
政治犯の釈放
戦犯容疑者の逮捕
軍国主義者の官公職追放
・農地改革
日本政府は昭和二十年末第一次農地改革案を作成していたが『農地改革についての覚書』が昭和二十年十二月九日GHQ指令によって出され、これを受けて、政府は昭和二十一年十月、第二次農地改革案を決定し実施することにした。このときの主な内容は次のようなものであった。
①不在地主所有地の全部、在村不耕作地主の所有地一町歩(北海道は四町歩)
②買収・売り渡しの計画は公選の農地委員会で作成すること。
③残った貸付地の小作料は金納とし最高小作料を定めること。
・財閥解体
等の大改革が相ついで実施され、これらの大改革のまとめとも云うべき、『日本国憲法』が昭和二十一年十一月三日、日本国政府により公布され、翌昭和二十二年五月三日より施行されることになった。
◇日本国憲法
日本国憲法は主権在民・基本的人権の尊重・平和主義の三大原理に立ち、労働者の団結権・団体交渉権・罷業権の保証や国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利などを規定した民主主義の原理に基づく憲法として成立した。
この憲法に基づき、民法・地方自治・教育の関係諸法等も改革されることになり、直ちに関係諸法令の改訂・新設が実施された。
・民法
憲法第二十四条の規定により、民法が改正され、戸主権・家督相続制の廃止・両性の合意に基づく婚姻の自由・夫婦の平等・男女相続権の平等化などの改革が実施された。
・教育
憲法第二十六条の規定により、教育の機会均等が認められ、この精神に基づき昭和二十二年三月三十一日、『教育基本法』が法律第二十五号として公布され、更に同日『学校教育法』が制定公布された。
『教育基本法』は日本の教育の根本的な法律として定められ、以後教育関係の諸法令はこれを基にして制定された。同法は教育の目的・指針・機会均等・義務教育・男女共学・社会教育・教育行政等の内容から構成されており、教育の目的については『人格の完成を目ざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とともに健康な国民の育成を期して行わなければならない』と定められた。
また『学校教育法』は第一条の中で、学校を小学校・中学校・高等学校・大学・盲学校・聾学校・養護学校及び幼稚園とし、雑則で学校教育に類する教育を行うものを、各種学校と規定していた。そして小学校六年・中学校三年を義務教育と定め、この法令により従来の複雑な学校教育体系から、単線的な学校体系に改革されることになった。