本村の人口の推移は、昭和二十二年~四十年まで約三〇〇〇人~三八〇〇人の間で安定し、その後、基幹産業である水産業が海洋資源の激減、漁業の近代化の波による合理化と我国経済の高度成長期と相まって都市部の労働力需要が高まり、若年層を中心に雇用の安定している都市部へ流出し、昭和四十年から五十年までに八四五人が減少している。
本村の将来人口は、これまでの推移より予測することは困難であり、産業基盤の整備、活力ある住よい村づくりを積極的に推進するとの仮説のもとで推計すれば目標年次には増加すると想定される。
人口のフレーム