スケトウ鱈漁業

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 前に記したような理由で鱈の産額が減少したのであるが、これに代わるものとして、大正時代中頃から当時朝鮮に干明魚(メンタイ)の需要が多いことに着目され、今まであまり重要視されなかったスケトウ鱈の漁業が始められた。
 漁法は最初川崎船で延縄が使用されていたが、大正十年頃から動力船による延縄漁業が行われ、その後底曳網で漁業が行われるようになり、これもまたその資源を急速に減少させていった。(資源減少のため昭和十年底曳網漁業は禁止となる。)