明治十三年の資料で強いて工業関係のものと思われるのは、杣夫(そまふ)(きこり)の十人という記事のみで、鍛冶や木工関係の仕事をする者は誰れもいなかった。しかし明治十四年の統計(明治十四年後期分亀田郡各町村物産表)を見ると、大工一戸・鍛工一戸・それに何人かの木挽(動力製材がなかった時代、人が大鋸で木材を挽いていた。)が存在していることがわかる。恐らく明治十三年の学校新築や郵便局の開設などもあり、この頃から極く初歩的な工業が始められたものと思われる。
その後明治十六年の戸口及諸物品調によれば、薪炭と漬物類製造されているが、これは全て自家用であり、清酒・醬油・味噌等は全く生産されず移入に頼らねばならない状況であった。